称賛すべき2敗を演じたオーストラリア 世代交代推し進めたポスタコグルー監督

植松久隆

“善戦”以上の戦いぶりに悔しさがにじむ

強豪オランダから途中リードを奪う善戦を見せたオーストラリア。2敗でグループリーグ敗退は決まったが、国内からは善戦したとの声が上がっている 【写真:ロイター/アフロ】

 オレンジとグリーン&ゴールドに染まったエスタジオ・ベイラ・リオに、激戦の終わりを告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間、オーストラリアの選手たちはピッチに突っ伏した。
 ワールドカップ(W杯)のグループリーグ、グループBの“アンダー・ドッグ”のサッカルーズ(オーストラリア代表の愛称)は、激しい打ち合いの末、オランダに2−3で屈した。先のチリ戦に続いて、あと一歩のところで強豪相手に勝ち点を逃す悔しい敗戦だったが、試合内容ではオーストラリアが上回った。強敵に食い下がって、相手を大いに慌てさせる“善戦”以上の戦いぶりだったからこそ、「勝ちたかった、せめて引き分けに持ち込みたかった」という思いが、試合終了直後の選手たちの打ちひしがれる姿から透けて見えた。

 試合直後のインタビューに顔を出したアンジ・ポスタコグルー監督もさすがに落胆の色は隠せない。インタビュアーの「(本国の)サポーターが誇りに思える戦いぶりだったのでは?」との問いにも、「いや、(勝てなかったことに)落胆している」と厳しい表情。それでも「選手はこれ以上にないくらいに良くやってくれた」と選手の奮闘をたたえることは忘れず、悔しさをかみ締めるように試合を振り返った。

 試合前には誰もがオランダ優勢を予想した試合は、立ち上がりからオーストラリアが試合を優位に進めるというおおかたの予想に反する展開で推移する。前半20分にアリエン・ロッベンのカウンター一閃で先制を許すも、その1分後には絶対的エースのティム・ケーヒルのスーパーゴールで追いつく。右サイドのライアン・マックゴーワンから上がった長いクロスを肩越しに利き足ではない左足のボレーで振り抜く。ケーヒル自身のW杯通算5点目(今大会2点目)となる、今大会屈指と評されてもおかしくないビューティフルゴールがオランダのゴールネットに突き刺さった。

 オーストラリアの動きの良さは後半に入っても衰えず、この日、出色の出来を見せた右ウイングのマシュー・レッキーを中心にして積極的にオランダ陣内に攻め込む。後半9分には、相手DFのハンドで得たPKをキャプテンのミレ・イェディナクが冷静に決めて、2−1とオランダをリードする。
 しかし、ここからオランダが試合巧者ぶりを見せる。後半13分には、ロビン・ファンペルシーが同点弾。さらには後半23分にメンフィス・デパイがゴールと、わずか10分で試合をひっくり返してみせる。逆転されてからも攻めの姿勢を崩さないポスタコグルー監督は、さらなる失点を恐れずに残り2枚の交代カードをすべて攻撃的なオプションで使い切る。しかし、何とか事態を好転させようという努力もむなしく、そのまま試合終了を迎えた。

オランダとオーストラリアの関係を深めたヒディンクの存在

 試合後、健闘をたたえ合うオランダとオーストラリア両国の選手の姿をカメラが捉えていたとき、ふと、両国のサッカー界に深く関わった“名将”の顔が頭に浮かんだ。オランダ代表次期監督就任が決まっているフース・ヒディンク、その人だ。

 両国のサッカーの関わりを語る際、ヒディンクの存在は避けては通れない。オーストラリアにしてみれば、ヒディンクは自国を2006年ドイツ大会で実に32年ぶりにW杯へ導いた“恩人”。05年7月から1年間、サッカルーズを率いたヒディンクは、いまだにオーストラリア国内での人気は高い。ピム・ファーベク(元大宮アルディージャ監督)やホルガー・オジェックといった過去の監督交代時には一部のファンから「ヒディンク復帰」を唱える声も上がったほどだ。

 このヒディンク時代に、両国のサッカーでの関係は一気に深まった。06年大会後のヒディンクの後任には、彼の薫陶を受け、現役時代にオランダでのプレー経験も豊富なグラアム・アーノルド(前ベガルタ仙台監督)が就任。そのアーノルドの次に招へいされたのは、オランダ人のピム。さらには、09年以来、オーストラリアサッカー連盟のテクニカルダイレクターを務める(今大会後に退任予定)ハン・ベルガ―(元大分トリニータ監督)もオランダ人。そのベルガ―が、ピムの後任に推したのがドイツ人のホルガー・オジェック前監督、というように、ヒディンク以降、オーストラリアサッカー界で「オランダ(欧州)路線」が脈々と受け継がれてきた歴史がある。自らの退任から8年を経て、世界最高峰の舞台で実現した両国の対戦をヒディンクはどのような感慨で見守ったのだろうか。

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著者プロフィール

1974年福岡県生まれ。豪州ブリスベン在住。中高はボールをうまく足でコントロールできないなら手でというだけの理由でハンドボール部に所属。浪人で上京、草創期のJリーグや代表戦に足しげく通う。一所に落ち着けない20代を駆け抜け、30歳目前にして03年に豪州に渡る。豪州最大の邦字紙・日豪プレスで勤務、サッカー関連記事を担当。07年からはフリーランスとして活動する。日豪プレス連載の「日豪サッカー新時代」は、豪州サッカー愛好者にマニアックな支持を集め、好評を博している

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