世界をうならせたファン・ハールの英断 形は変われど、攻撃的な姿勢は変わらず

中田徹

過去にも成功していた堅守速攻型のチーム

貴重な同点弾を含む2ゴールを決めたファン・ペルシ(左)は、ファン・ハール監督(右)の期待に応えた 【写真:Action Images/アフロ】

 今、オランダサッカー界の悩みはロビン・ファン・ペルシ、アリエン・ロッベン、ウェズレイ・スナイデルに続く、ワールドクラスの選手が育ってないことだ。オランダは昨秋(11月)に行われた日本戦の前半、ラファエル・ファン・デル・ファールトのノールック・ボレーによるクロスから、ロッベンがスーパーゴールを決めたが、後半に入ると若い選手たちが経験不足を露呈し、日本に主導権を握られると立ち直ることができないまま2−2で引き分けた。

 オランダは攻撃サッカーの国、さらに一貫して4−3−3のフォーメーションを採用する国として知られているが、ルイ・ファン・ハール監督もこの流儀の信奉者として知られている。しかし、AZを率いていた2007−08シーズン序盤、チームが前年度からの不振を引きずったため、いよいよファン・ハール自身のクビも危うくなり、守備にアクセントを置き、カウンターで効率よく攻めるサッカーに転換。それが功を奏してAZをリーグ優勝に導いたことがある。

 彼曰く、守備ラインを自陣深い位置に下げて戦ったサッカーは「決して守備的なサッカーではなく、エースのムニル・エル・ハムダウイ(現マラガ/スペイン)の前方にスペースを作り、彼の攻撃力と得点力を最大限に生かすための攻撃的なシステムなんだ」と言い張り続けていた。

 ファン・ハールにはこうした過去があるから、日本戦後、「『エル・ハムダウイ・システム』で成功したファン・ハールは、もしかしたらワールドカップ(W杯)で『ロッベン・システム』を採用するかもしれない」と僕は予想した。しかし、ファン・ハールはさらにその上を行くシステムを今大会に向けて準備してきた。

 今のオランダの戦力ではスペイン、さらにチリ相手にも中盤で勝てそうもないため、ポゼッション合戦を放棄することにした。さらに個々のDFの能力、経験が足りないため、5バックと2人の守備的中盤による堅い守備ブロックを構築した。攻撃面では「ゴールデン・トライアングル」による速攻と個人技にかけた。見方を変えれば、オランダはスナイデルのパス能力と、ロッベンのスピード、ファン・ペルシの並外れた能力を最大限に発揮するため、あえて全体のラインを下げて、この3人にスペースを作ったのだとも言える。こうして、ファン・ハールは大会1カ月前から5−3−2という新しい取り組みを始めた。

重要だったファン・ペルシの同点ゴール

 それが、オープニングマッチのスペイン戦でパーフェクトに機能した。ヨーロッパリーグでも勝ち上がれなくなった斜陽のオランダリーグの若い選手を多数含むこのチームが、世界・欧州王者のスペインを5−1と破ったのは、間違いなくオランダのサッカー史に残る偉業と呼べるだろう。

 誤算は不運なPKからスペインに先制されてしまったことだった。5月17日のエクアドル戦(1−1)、31日のガーナ戦(1−0)と2度の練習試合でオランダは5−3−2を試し、守備の面では相手にほとんどチャンスを作らせず、まずまずの手応えを得ていたが、ビルドアップではいつもの4−3−3と勝手が違うため、ボールをうまく前へ運ぶことができなかった。試合でビハインドを負った場合、どのような策をとるか――ファン・ハールにもいくつかのアイデアはあっただろうが、練習試合でそれを試すまでの余裕が無かった。

 そのため、前半終盤の攻防でスペインのダビド・シルバが絶好機を逸して追加点を奪えなかったのに対し、直後にオランダがファン・ペルシのスーパーゴールで同点に追いついたのは非常に大きかった。ファン・ハールはこの時間帯のことをこう振り返る。

「ウェズレイ(・スナイデル)がビッグチャンスを外し、われわれはPKで失点する嫌な展開になった。ハーフタイムに入ったら私は選手にどんな話をしようかと考え込んでいた。ロビン(・ファン・ペルシ)のゴールは本当に重要だった」

 チームと指揮官を救ったこのゴールの瞬間、オランダのコーチングスタッフ、控え選手はおろか、広報責任者までベンチから飛び出して大喜びした。しばらくしてから前半終了の笛が鳴り、最高の気分でオランダはハーフタイムを迎えた。そして彼らは自信をみなぎらせて後半のピッチへ戻ってきた。

ブラジルで親しまれる『ラランジャ・マキナ』

2ゴールを挙げたロッベン(右)。スナイデル(左)、ファンペルシと形成する「ゴールデン・トライアングル」は強力だ 【写真:ロイター/アフロ】

 ロッベンの完璧なトラップからのドリブルシュート(2点目)、オランダの不安要素でもあったセンターバックのステファン・デ・フライが放ったセットプレーからのシュート(3点目)、GKイケル・カシージャスのミスを見逃さなかったファン・ペルシのとどめのシュート(4点目)、スナイデルの自陣からのスルーパスを受けたロッベンが独走したチーム5点目のゴール……5−3−2という布陣は変わらないのに、オランダはいつのまにか守備的サッカーから攻撃的なサッカーへと姿を変え、後半だけで大量4点を奪い、無敵艦隊スペインを沈めてしまった。

 オランダ人にはユースの頃から鍛えられている「サッカーをすることで困難を解決する」という知恵をピッチの上で表現する力が備わっていた。例えば、DFに対しスペインの選手がプレッシングをかけてきたら、オランダはロングキックでクリアすると見せかけてからパスを出すということを前半から粘り強く続けてきた。そして後半勝ち越したことによってスペインがさらに前がかりになり、よりピッチの上にスペースが生まれたことで本来のビルドアップも蘇り、アレナ・フォンチ・ノバに集まったブラジル人もオランダのパスワークに「オーレ! オーレ!」と叫び始めた。ブラジルでも『ラランジャ・マキナ(機械のようなオレンジ軍団)』と親しまれるオランダは彼らの嗜好にあうサッカーを後半に入って見つけたのである。
 
 かつてのベルギー代表の名手、そしてオランダサッカーにも詳しいマルク・デフリースは「ファン・ハールに脱帽だ」とうなった。その一言はオランダ国民、そして世界のサッカーファンにも共通するものだろう。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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