sportsnavi

球界再編が生んだ思わぬ“副産物”
63歳の新人監督は元近鉄のブルペン捕手
04年の球界再編時、近鉄に所属し、その後、楽天のフロント入りした経歴を持つ石山から、日本球界の変化に影響を受ける韓国野球の姿が見える
04年の球界再編時、近鉄に所属し、その後、楽天のフロント入りした経歴を持つ石山から、日本球界の変化に影響を受ける韓国野球の姿が見える【ストライク・ゾーン】

 今から10年前、再編問題が球界を揺るがした2004年。その年限りで大阪近鉄バファローズが事実上解散し、新たに東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。その渦中、近鉄のユニホームを脱ぎ、楽天のフロント入りした人物がいる。石山一秀氏(63)。石山は今年、韓国プロ野球・斗山ベアーズの監督に就任した。選手としての実績、そして知名度が決して高いとは言えない石山が就いた現場トップの座。その道のりには、この10年の日本球界の変化と、その影響を受ける韓国球界の姿が見えてくる。


 04年の意味と、今後のプロ野球を考える連載の第2回目は、石山にスポットを当てる。

近鉄→楽天と渡り、韓国プロ野球の監督へ

「まったく想像せんかった話ですわ。自分の人生に想定外のことでびっくりしました」


 昨年11月、斗山から監督就任要請を受けた石山は、驚きを隠そうとしなかった。石山の現役時代は近鉄の控え捕手。33歳の時、韓国に渡り3年間プレーした。当時の韓国はレベルアップのため日本球界経験者が求められたリーグ創設3年目。韓国に縁故があれば、有する国籍に関わらず在籍が可能だったおおらかな時代だった。


 日本に戻ってからは近鉄でブルペン捕手、ブルペンコーチ、バッテリーコーチを歴任。近鉄解散後は、楽天でプロ担当スカウトに転身し、12年まで同職を務めた。13年、斗山の2軍監督に招かれ、今季からは1軍の監督だ。石山は自身の野球人生をこう振り返る。


「どちらかというと下積みの方が長かった」


 その石山がなぜ監督になったのか? 斗山の金泰龍団長(日本における球団GM)はこう話す。

「捕手出身ならではの視点と豊富な経験があったからです」


 斗山球団は監督選任に際し、石山の他に4人の候補と面談を実施した。内部人事として行われた監督選考は、再編問題以降に日本で進んだ、フロント主導の球団運営を模した形だった。石山は自分が監督に選ばれた理由を冷静にこう見ている。


「球団にとってリスクが低い選択だったんでしょう」

球団が求めた「低リスク・好選手」に合致した鉄平

「低リスクの選択」――このことは石山自身、楽天のプロ担当スカウトとして最初に求められたことだった。

「楽天1年目の仕事は、コストのかからない、年俸が安くて良い選手を探すことでした」

 再編問題によって、多くの球団が年間10億円規模の赤字を抱えていることが明らかになり、球界は健全経営への転換期を迎えていた。


 2軍戦に通い、「お値打ち」な選手を探した石山。そこで目をつけたのがウエスタンリーグで打率3割3分6厘(05年、リーグ3位)をマークした、中日の土谷鉄平(のちの登録名は鉄平、現・オリックス)だった。「しっかりとした打撃技術を持っていたので、いけると思いました。中日での年俸は900万円でしたが、“やる気を出させるために100万円アップの1千万円でとってやってください”と球団に頼みましたよ」(石山)。金銭トレードで楽天入りした鉄平は、移籍1年目にレギュラーをつかみ、打率3割3厘を記録。09年には3割2分7厘でパ・リーグ首位打者を獲得した。


 石山は鉄平の成功について、「自分のスタイルを曲げない頑固な選手。野村(克也)監督の下で“好きなようにやれ”と言われたのが合ったんでしょう」と話す。鉄平の加入は発足1年目に97敗(38勝)し、即戦力を必要とした2年目のチーム状況に適した戦略だった。

室井昌也
室井昌也
1972年、東京生まれ。韓国プロ野球の伝え手として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。現在「室井昌也の韓国野球を観に行こう!」(ラジオ日本)に出演中。有限会社ストライク・ゾーン取締役社長。

スポナビDo

イベント・大会一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント