ザンビア戦で得た手痛い教訓 逆転勝利に楽観視できない3つの留意点

宇都宮徹壱

ともに米国を目指していたザンビアと日本

ザンビア戦後「満足していない」と語ったザッケローニ。W杯前に手痛い教訓を受けた 【Getty Images】

 ザンビア戦前日、日本の練習取材に男女のザンビア人記者が訪れていた。男性は、堂々たる体躯(たいく)の持ち主。女性は少し小柄で、頭上の髪の毛を残して大胆に刈り上げている。「あたし、取材もするけど、本当は歌手なの」だそうだ。ふたりとも流ちょうな英語を話すので、周りにいたフォトグラファーとのおしゃべりが何となく聞こえてくる。やがて歌手の女性が、自分たちの国について説明を始めた。

「ザンビアはね、モザンビークとかアンゴラとかボツワナとかに囲まれた内陸国なの。だいたいアフリカ大陸の南の真ん中あたり。海はないけれど、ビクトリアの滝が有名ね。首都のルサカからここまで来るのに18時間もかかったわ」

 ホテルに戻って調べてみると、ザンビア代表の直近の試合は3月5日のウガンダ戦(ホーム)、そして日本戦の次は9月10日のカーボベルデ戦(アウェー)である。ということは、彼らはわざわざ日本との1試合をするためだけに、はるばる18時間かけてタンパまでやってきたことになる。
 そのザンビアの最新のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは76位。W杯出場経験はない。日本は46位で5大会連続出場だから、有り体に言えば格下である。今回の親善試合も、日本からすれば6月14日(現地時間、以下同)のコートジボワール戦に向けたシミュレーションでしかない。とはいえ個人的には、日本とザンビアとの初顔合わせが、ここ米国で開催されることに、どうしても因縁を感じてしまうのである。

 ザンビア代表は、80年代の終わりから90年代の始めにかけて、まさに黄金時代を迎えていた。88年のソウル五輪ではベスト8進出。アフリカ・ネーションズカップでは、90年(3位)、94年(準優勝)、96年(3位)と、いずれも好成績を残している。米国で開催された94年ワールドカップ(W杯)は、ザンビアが世界にその名をとどろかせる絶好の機会であったが、そこに突然の悲劇が襲う。93年4月28日、W杯予選のためにセネガルに向かう途中、代表チームを乗せた飛行機がガボン沖で墜落し、選手18名が死亡するという大惨事となった。その後、ザンビアは新チームで予選の残り試合を果敢に戦ったものの、首位モロッコに1ポイント及ばず、W杯への道を閉ざされてしまう(当時は勝利が2ポイント)。

 日本もまた、いわゆる「ドーハの悲劇」により、W杯初出場の夢を断たれている。とはいえ、かつてザンビアが味わった深い悲しみと絶望を知ってしまうと、「悲劇」という表現にはいささかのためらいを覚えずにはいられない。ならば、両者が「悲劇」に見舞われることなく94年のW杯に出場していたなら――と想像してみてはどうだろう。

 6月6日の日本対ザンビアは、実は20年前の米国W杯で実現していたかもしれないカードなのだ。

試合開始から30分足らずで2点のビハインド

日本代表への期待が書き込まれたユニホームフラッグ。背景に見えるのはゴール裏に設置された海賊船 【宇都宮徹壱】

 さて、日本代表である。5月27日に国内で行われたキプロス戦では、選手のコンディション調整を重視し、6月2日のタンパでのコスタリカ戦では戦力的なオプションを試すことがメーンテーマとなった。結果は前者が1−0、後者が3−1といずれも勝利。このザンビア戦は、コートジボワールと同じアフリカ勢ということに加え、W杯前の最後の親善試合ということもあり、日本のスターティングイレブンはかなり本番を意識したものとなった。
 GK西川周作。DFは右から内田篤人、吉田麻也、今野泰幸、長友佑都。中盤は守備的な位置に遠藤保仁と山口蛍、右に岡崎慎司、左に香川真司、トップ下に本田圭佑。そしてワントップには柿谷曜一朗。

 前日練習でふくらはぎの張りを訴え、別メニューだった長友は、2試合ぶりのスタメン出場。バックアッパーの酒井高徳がまだ戦列に復帰できないこともあり、まずは現状の長友でどこまで引っ張れるかを試す意図もあるのだろう。
 遠藤のパートナーは、過去の実績ならば長谷部誠だが、コスタリカ戦前日から別メニューとなり、このザンビア戦も大事をとって休むこととなった。代わって入ったのは山口──というよりも、山口はこれが6試合連続のスタメン出場だ。すでに遠藤、長谷部、そして青山敏弘ともコンビを組んでおり、いずれも息のあったプレーを見せている。もはやボランチの主軸は山口と考えるべきであろう。
 そしてGKの西川。川島永嗣を第1GKと考えるなら、西川は「オプションを試す」という意味でコスタリカ戦で起用されるべきであった。それが、ここに来てのスタメン起用。あるいは西川が、コートジボワール戦でゴールを守る可能性もあるかもしれない。

 この日の会場が、4日前のコスタリカ戦と同じタンパ市内のレイモンド・ジェームズ・スタジアムで行われたことも、多少は影響していたのだろう。記者席にはどこか楽観した空気が横溢していた。もしかしたら、日本代表にも同様の空気が存在していたのかもしれない。

 結局のところ日本の楽観ムードは、キックオフと同時に消し飛んでしまった。前半の主導権を握ったのはザンビア。開始間もない前半9分には、日本陣内で巧みなパス回しを展開し、右サイドからのアーリークロスをペナルティーエリア内の味方がつなぐと、最後はクリストファー・カトンゴが頭で押し込んで先制する。それから20分後の29分には、右のコーナーキックから追加点。ショートコーナーを予想して、吉田と今野がマーカーに合わせてコーナーアークに向かって走りだしたところ、ボールはその背後に待ちかまえていたネイサン・シンカラにわたり、ダイレクトで逆サイドに決められる。試合開始から30分足らずで、日本は2点のビハインドを負うこととなった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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