原口元気、愛すべき浦和からの旅立ち W杯落選の悔しさを胸に、欧州の舞台へ

島崎英純

断腸の思いで下した移籍という決断

ロンドン五輪メンバー発表後の鳥栖戦では2得点。落選の悔しさもあり、ゴールを決めた瞬間、涙を見せた 【Getty Images】

 2012年7月7日。ロンドン五輪本大会に臨むU−23日本代表から落選した原口は、直後に行われたJリーグ第14節・サガン鳥栖戦で2ゴールをマークしてチームの勝利に貢献した。原口はゴールを決めた瞬間、まだ試合が終了してもいないのにピッチ上で感極まり号泣した。

「五輪代表から落選して、両親、兄妹、友だち、そしてもちろんサポーターから励まされて、『もう一度頑張ろう』と思えた。それが鳥栖戦での2ゴールにつながったのだと思う。周りに支えてくれる人が誰もいなかったら、僕は落ち込んだままで立ち直れなかった。落選は正直悔しかったけど、そのおかげで僕の周りにはかけがえのない方々がいるんだなと思えた。だから、あの2点は僕からの皆さんへの感謝の気持ちです」

 時に感情をあらわにし、指揮官の采配に不平不満を唱え、チームメイトと口論になって乱闘を演じたこともあった。問題児のレッテルを貼られた彼の内面はそれでも、純粋で実直な思いで満たされている。

 だが、同年代のライバルが次々に新天地を求め、日本代表での地位を確立し、国際的な認知を高めていくと、原口にも次第に焦燥の念が芽生えた。23歳となる2014年シーズンはワールドカップ(W杯)・ブラジル大会が開催されることから、このW杯に出場する日本代表メンバーに選出されることは、今後のステップアップを図る上で欠かせないことのようにも思えた。だからこそ彼はクラブの象徴でエースナンバーでもある背番号9の着用をふたつ返事で承諾し、その責任を一身に背負いながら結果をも得ることが、自らの成長とステータスの確立につながると信じた。だが想いは叶わず、原口はアルベルト・ザッケローニ日本代表監督の選手選考から漏れ、ブラジル行きの夢を失った。

 今以上の成長を促すためには環境の変化が必要かもしれない。しかも今季は浦和レッズとの契約最終年である。このままシーズン終了までチームにとどまればフリートランスファーで他クラブとの移籍交渉を進められるが、それではクラブへの恩を果たすことができない。タイトル獲得という目標と恩義に報いる金銭的対価という両天秤の中で、原口は断腸の思いでひとつの決断を下した。

あるドイツ人選手との共通点

 今回、原口が獲得オファーを受けたドイツ・ブンデスリーガ1部のヘルタ・ベルリンにはかつてのチームメイト・細貝萌が在籍している。その細貝は以前、原口のことをこう評価していた。

「世間的にも、チーム内でも、原口に関してはいろいろな意見があるよね。でも僕は率直にアイツのようなキャラクターは大好きなんです。何より元気は、サッカーに対する情熱がある。それが負けん気の強さにつながっているし、時にそれが破天荒な行動につながることもあるけど、僕はそれこそ元気の純粋な魅力だと思っている」

 細貝はアウクスブルク在籍当時に『ある』選手と出会い、その佇まいが原口そっくりだと思ったという。

「ドルトムントからアウクスブルクへ期限付きで移籍してきたモリッツ・ライトナー(1992年12月8日生まれの21歳。TSV1860ミュンヘンのユースチームからトップチームへ昇格し、2011年にドルトムントへ移籍した直後にアウクスブルクへ期限付き移籍。細貝とはアウクスブルクで同時期に出会い1年間共にプレーした。現在はシュツットガルトへ期限付き移籍中だが、2013年にドルトムントと4年の長期契約を結び直した将来有望なドイツの若手)という選手。当時モリッツは18歳でドルトムントとプロ契約を交わして、すぐにアウクスブルクへ期限付き移籍してきたんだけど、とにかく生意気なんです。『アウクスは単なるステップアップの場』とか平気で言うし、何より不遜で自信満々。僕の方がずっと年上なんだけど、モリッツは全く意に介さずに『俺様』のような態度で、僕はそんなモリッツを『元気と似てるな』と感じた。その直感が本当だったと確信したのはその後、モリッツの内面に触れた時だった。

 彼は元々アウクスブルクの隣町のミュンヘン出身で、ご両親はミュンヘンに暮らしているんだけども、彼の家庭はそれほど裕福ではなくて両親は共働きらしいんです。ある時に『ハジメ、一緒に買い物に行こうよ』と言ってきたので、モリッツとミュンヘンの街中へ一緒に行って、そこであるデパートに寄ったら、そこでモリッツのお母さんが働いていて、『僕のママだよ』と紹介してくれた。その時のモリッツは普段のような悪ガキではなく、『両親に楽をさせたい』、『母親のことを本当に愛している』と公言する親孝行な少年だった。モリッツも元気も表面上は生意気で周囲から誤解されやすいタイプだけど、本当は純真な心を備える真正直な人物。僕はそういう人間に心から成功をしてほしいと思っているし、元気のような選手こそヨーロッパの舞台で活躍できると思っている」

 2012年のロンドン五輪代表から落選した時に原口が最も心を痛めたのは、両親に落選の報を伝える時だった。

「いきなり父親に報告するのは厳しかったので、最初に母親に言ったんです。『ごめんね。落ちちゃった』って。そうしたら母親は『とんでもない。これまで、ありがとう』と言ってくれました。『いつもこれだけ楽しませてくれているんだから、十分だよ』って。その母親の言葉は、とてもうれしかった」

 皆の期待に応えたい。そのために成長する。飽くなきサッカーへの探求心と果てなき向上心はもはや個人的な感情にとどまらず、自らを支えてくれる全ての者たちの思いと共鳴する揺るぎない使命となった。

いつかまた、愛すべきあの街へ帰る

 ザッケローニ監督がブラジルへ連れて行く選手たちの名前を告げている。ひとり自宅で代表発表会見を見て名前が呼ばれなかったことを確認すると、自らの至らなさを自覚し、さらなる成長を誓った。

 ブラジルW杯の日本代表メンバー落選直後に、原口から筆者宛てに送られたメールにはこう書かれていた。

『実力不足。うまくなる』

 ドリブルで相手を抜き去る。日本人はひとりで局面を打開する力に欠けていると言われてきた。だったら自分が、そのレッテルを払拭する。

「全てがここから始まっている。全ての事をここで学んだ。浦和レッズは、僕の全てを創ってくれたクラブです」

 いつかまた、愛すべきあの街へ帰る。そのために、原口元気は世界の舞台で堂々と、日本一の選手になる。

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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