バドゥ、日本を愛しすぎた男=J2・J3漫遊記 京都サンガF.C.<後篇>

宇都宮徹壱

今明かされる「ジョホールバル」でのバドゥ

過去11カ国を渡り歩いてきたバドゥ。日本では「ジョホールバルの歓喜」のイラン代表監督として有名 【宇都宮徹壱】

 指導者に転じてからのバドゥは、ベネズエラ、ブラジル、コスタリカでの仕事を経て、97年の秋からはイラン代表監督に就任する。ここで初めて、彼は「日本サッカー」とのファーストコンタクトを果たすことになった。わが国では「ジョホールバルの歓喜」として知られる、97年11月16日のワールドカップ(W杯)予選、アジア第3代表決定戦。当時のバドゥにとり、日本代表は純粋に「未知のチーム」であったという。

「今のように衛星テレビやインターネットで、すぐに最新の映像が見られるわけではなかったからね。しかもイランという国は非常に閉鎖的だったので、なかなか日本の情報が見つからない。だから世界中の友人に電話しまくったよ(笑)。ようやく韓国の友人から、韓国戦(2−0で日本が勝利)の映像を大使館経由で入手できた。その映像を見る限り、警戒すべき選手は相馬(直樹)と中山(雅史)だと思った。中田(英寿)については、技術はしっかりしているが、それほどキーマンだとは思っていなかったね。それにこっちには、(アリ・)ダエイも(コダダド・)アジジも(メフディ・)マハダビキアもいたから、2〜3点は取れるだろうと楽観していたよ」

 しかし結果は周知のとおり、日本は2−2の状態から延長後半13分に岡野雅行のゴールデンゴールが決まり、悲願のW杯初出場を決める。そして「キーマンだとは思っていなかった」中田は、日本の3ゴール全てに絡む大活躍を見せた。試合後、チームメートやスタッフ全員がもみくちゃになりながら歓喜に沸く中、中田はひとりバドゥの前に歩み寄り、握手を求めている。この時、ふたりの間にどんなやりとりがあったのだろう。

「握手のあと、私が英語で話しかけようとしたら、ちょっと戸惑った表情を浮かべていた。思うに当時の彼は、まだ英語がよく理解できていなかったようだね。私は彼に『おめでとう。君は素晴らしい選手だが、これからもっとビッグなプレーヤーになることだろう』と言ったんだ。実際、その通りになって私は本当にうれしかったよ」

 試合後、悲嘆に暮れるイランの選手たちとともにバスに乗り込むと、バドゥは意外な行動に出る。ドライバーに「日本代表が泊まっているホテルに向かってくれ」と指示したのだ。ホテルの前では、初のW杯出場決定に狂喜乱舞する日本人たちの姿であふれていた。その光景を指差しながら、バドゥは諭すように選手たちにこう語ったという。「見ろ、あれこそが勝者の姿だ。次のオーストラリアとのプレーオフで、君たちが喜びを爆発させたいのなら、しっかりと目に焼き付けておくのだ」と。

「ジョホールバルで日本に負けたのは、確かに痛かった。だが、それほど悔しいとは思わなかったのも事実だ。なぜならイランは過去にもW杯に出場していたけれど(78年大会)、日本はこの時が初めてだったからね。それにもし、イランでなく日本がプレーオフに回っていたら、オーストラリアに勝つのは厳しかったと思う。結局のところ日本はイランに勝ち、イランもプレーオフに競り勝って、仲良くフランスに行くことができた。終わってみれば、どちらにとってもハッピーだったわけだ(笑)」

大木サッカーとの整合性

京都では選手にハードなトレーニングを求める一方、試合では選手の自主性に委ねる指導をしている 【宇都宮徹壱】

 ケルンで初めて「日系人でない日本人」と出会ってから37年、ジョホールバルで初めて日本サッカーと邂逅(かいこう)してから17年、そして長野で日本での仕事を始めてから8年の歳月が経過した。バドゥは今、日本好きの外国人であれば誰もが憧れる、京都という土地のクラブで指揮を執っている。そして言うまでもなく、今季のクラブのミッションは5シーズンぶりとなる「J1復帰」だ。祖母井GMも「バドゥは1年目だけど(J1復帰というミッションは)4年目。決して長い目で見るという感じではないので、プレッシャーの中で結果を残していくしかない」と語る。では、プレーする側の選手たちのバドゥ評はどうか。今季、横浜F・マリノスから期限付き移籍してきた左サイドバックの比嘉祐介は語る。

「バドゥさんは、攻撃面については特に何も言いませんね。『これをしたらダメだ』ということもないし、ミスしたらすぐに怒るということもない。基本的にプラスなことしか言わないし、むしろチャレンジすることを求めてきます。だから僕自身、とてもやりやすいです。ただし練習はハードですよ。試合の翌日でも、普通に2部練(習)やりますから。キャンプでなく、シーズンが始まってからも2部練というのは初めてですね」

 一方で気になるのが、前任者である大木武が3シーズンにわたってチームに植えつけてきた「アクションサッカー」との整合性である。長野時代のサッカーを見る限り(もちろん、カテゴリーの違いはあったにせよ)、大木サッカーとは方向性が正反対だったようにも思える。その点について当人に尋ねてみると、少し意外な答えが返ってきた。

「私の好むスタイルが何かと問われれば、アタッカーを3枚並べたフォーメーションだ。とはいえ監督としてチームを預かるからには、自分の好むスタイルをチームに押し付けるべきではない。私は、京都がこれまで培ってきたスタイルを尊重するし、ショートパスによるサッカーは継続すべきだと考える。そこから日々アップデートしていけばよい。それと、このチームは若い選手が半数を占めているので、彼らを成長する手助けもしたい。京都サンガというチームには、素晴らしい未来が約束されていると言えるだろうね」

 一方で、その人当たりのよいキャラクターを前面に押し出した、ファンサービスにも定評がある。練習見学に訪れたサポーターをピッチに招き入れて選手とのPK戦に参加させることもあるという。「やりすぎ」という意見もあるだろうが、これこそがバドゥスタイルの真骨頂であり、祖母井GMも求めていたものである。本稿を書いている第8節終了時点で7位。いまだホームで勝利がないのが気になるところだが、自動昇格圏内である2位との勝ち点4差につけている(編集部註:第10節終了時で12位)。最後に「昇格のプレッシャーは感じているか」と当人に問うてみた。

「まず理解すべきは、これはゲームである、ということだ。どちらも努力して試合に臨むが、その結果は誰も知らない。いったんボールが走りだせば、選手交代をすること以外、監督は何もできないものだよ。だから私がやれることは、とにかく次の試合に向けてベストの準備をすること。結果は、神のみぞ知る。私自身は、いつも落ち着いているよ(笑)」

 そう語ると「日本を愛しすぎた男」は、人懐っこい笑顔で私にサムアップした。

<文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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