バドゥ、日本を愛しすぎた男=J2・J3漫遊記 京都サンガF.C.<後篇>

宇都宮徹壱

5年ぶりにアルウィン見参!

京都の監督として5年ぶりにアルウィンを訪れたバドゥ。試合後、松本ファンの呼びかけに応える 【宇都宮徹壱】

 3月30日の西京極でのコンサドーレ札幌戦に引き分けた(1−1)京都サンガF.C.は、その後2試合で勝点を4つ積み上げて5位に浮上。4月20日のJ2第8節は、アルウィン(長野県松本平広域公園総合球技場)での松本山雅とのアウェー戦に臨むこととなった。

 戦力的には相手を凌駕(りょうが)している京都だが、なぜか松本には分が悪い。過去2年の対戦成績は京都の0勝2分け2敗。順位も相手がひとつ上の4位である。この試合に、選手やスタッフの誰よりも強い思いを持って臨む男がいた。今季から京都の指揮を執るブラジル人、ヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラである。バドゥは2006年〜09年まで、当時北信越リーグ所属のAC長野パルセイロを率いていた。そして長野と松本は、北信越リーグJFLにおいて「信州ダービー」と呼ばれる熱い戦いを繰り広げてきた。5年ぶりとなるアルウィンでの戦いを前に、その激闘の記憶について、今年70歳になる老将はこう振り返る。

「これまでアルウィンには10回は訪れたかな。試合以外にも、北信越リーグの選手の視察で、よく松本には来ていたよ。長野と松本はライバル関係にあったわけだが、どうしても集客力で差があった。松本はスタートの段階で、アルウィンという素晴らしいスタジアムがあったからね。松本はこの10年で多くの成果を挙げながら、素晴らしい成長を遂げてきた。J1へのステップアップも、そう遠いことではないだろう」

 アルウィンでの試合は、なぜかゲーム終盤から点の取り合いとなることが多い。この日も、試合終了までの16分間で4ゴールが生まれた。後半29分、松本がPKのチャンスから船山貴之のゴールで先制。しかしその4分後に途中出場の三平和司が、投入後わずか1分で角度のない位置からゴールを決めて京都が同点に追い付く。さらに40分には、相手クリアボールを拾った石櫃洋祐からのパスを大黒将志が決めて京都が逆転に成功。このまま逃げ切るかと思われた終了間際、松本はコーナーキックから犬飼智也が頭で押し込んで再び同点とする。試合はそのまま2−2の引き分けに終わった。

 試合後、京都の選手とスタッフ一同が、松本まで駆けつけてくれたサポーターへのあいさつに向かう。するとメーンスタンドから「バドゥー! バドゥー!」と、ビジターチームの指揮官を呼ぶ声が聞こえてきた。よく見ると、山雅グリーンのレプリカを着た、地元サポーター数名が、バドゥに向かって手を振っているではないか。北信越リーグ時代、松本の平均入場者数は3000人ほどであった(それでも規格外の数であったが)。この日の入場者数は1万1989人。ほとんどの観客は、地域リーグ時代や信州ダービーの記憶を持っていないはずだ。にもかかわらず、何人かの松本市民はバドゥのアルウィン帰還を心から喜んでいる。果たして、松本の地域性によるものなのか、それとも当人の「愛されキャラ」ゆえなのか。いずれにせよ、なかなか良いものを見せてもらった。

「日本で仕事することを夢見ていた」

長野監督時代のバドゥ。当時のクラブはアマチュア然としていたが「それでも充実していた」と語る 【宇都宮徹壱】

「初めて来日して、長野エルザ(長野パルセイロの前身)の監督に就任したのは06年。オファーを受けたとき、私はすでに62歳になっていて、ちょうどサッカーから身を引こうかと思っていた時だった。ただ、私も(妻の)エリカも、一度は日本で暮らしてみたいという思いはあった。確かにサラリーは低かったけれど、優先されるべきはお金よりも日本で生活することの喜びだった。当時の長野は、ホームゲームの観客は200人くらいで、選手も働きながらプレーしていたので、トレーニングは夜に行っていた。まだまだアマチュア然とした環境だったが、それでも充実した日々を送ることができた。何より、その後もサッカーに関わるきっかけを作ってくれた長野には、本当に感謝しているよ」

 長野での4シーズンでは、北信越リーグ優勝と全国社会人サッカー選手権大会優勝(いずれも08年)を果たしたものの、地域決勝という分厚い壁を打ち破ることはできず、09年に日本を離れることとなった。ただしその間、ドイツのケルン体育大学時代に出会った祖母井秀隆(現京都GM)と旧交を温めることができたことは、結果として再来日への伏線となる。

「日本を離れてから、私はバーレーンとヨルダンで仕事をしていた。お金は良かったけれど、いつかはまた日本で監督をやりたいとずっと思っていたんだ。実際、いくつかそういう話はあったし、私のほうから日本の知人に『監督を探しているクラブはないか』と何度もメールをしたよ。住む家と車さえあれば、ギャランティーはそんなに高くなくていい。カテゴリーもこだわらない。とにかく日本でまた仕事がしたい。なぜなら日本は、世界で最も住み心地の良い国だからだ。きれいで、落ち着いていて、規則正しくオーガナイズされている。だから祖母井さんから京都の話をもらった時は、本当に感無量だったね」

 親日家の外国人が多いのは、決してサッカー界に限った話ではない。しかしながらバドゥの親日ぶりは、いささか常軌を逸しているのではないかと感じるくらいだ。その日本愛の源泉は、彼自身のルーツに求めることができる。

「私の故郷は、サンパウロ州のマリリアという町なんだが、そこには昔から多くの日系人が暮らしていた。日系人の学校もあったし、私の義理の妹も日系人だ。だから昔から、日本という国にはシンパシーは感じていたね。その後、現役を引退してケルン体育大学で学んだ時に、そこで初めて日系人ではない日本人に出会うことができたんだ。それも3人も! 祖母井さん、足達さん(勇輔=現長野スポーツディレクター)、そしてケンジ(湯浅健二=現サッカージャーナリスト)。当時はみんな、あまりドイツ語はできなかったけれど、お互いに理解を深めることができたね。やがてコーチングライセンスを取得してからは、日本のヤマハや古河にも履歴書を送ったよ。当時は企業チームしかなかったが、それでもいつか日本で仕事をすることを夢見ていたんだ」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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