現代サッカーの流行を体現するチェルシー ジョゼ・モウリーニョの第二次政権

北健一郎

結果至上主義の“最初の結婚”

2度目となるチェルシーでの指揮にも変化が見られるモウリーニョ 【Getty Images】

 ジョゼ・モウリーニョとチェルシーの“最初の結婚”はケンカ別れに終わっている。2004年、FCポルトでのチャンピオンズリーグ(CL)制覇という実績を引っ提げて、ポルトガル人指揮官はやってきた。当時のチェルシーは、ロマン・アブラモビッチのオーナー就任によって突如として金満クラブになったばかりだった。モウリーニョは勝つために招き入れられ、実際に結果を出した。

 就任1年目にチェルシーを50年ぶりにプレミア優勝に導くと、翌年も連覇を達成。それまでプレミアの中堅クラブに過ぎなかったチームを、一気に強豪の地位に押し上げた。しかし、幸せな結婚生活は3年目から亀裂が入り始める。4年目のシーズン途中、モウリーニョは限りなく解任に近い形で監督の座を追われている。

 その後、モウリーニョはインテルでCL制覇を成し遂げ、レアル・マドリーへ。レアルでもリーガ優勝を果たすも、3シーズン目にリーグ戦とカップ戦で無冠に終わると、クラブ側との同意で契約を解消。再びフリーになったモウリーニョが“結婚相手”に選んだのは、かつて別れたチーム、チェルシーだった。

「私は常に勉強しているが、あなた方は常に時代遅れだ」

 モウリーニョは第一次チェルシーの監督時代、英国メディアにこう言い放ったことがある。傲慢(ごうまん)、不遜……という彼につきまとうイメージは、この頃に定着したといっていい。だが、モウリーニョが「常に勉強している」のは間違いない。それは、今シーズンのチェルシーの戦いぶりを見ても明らかだ。ここでは、モウリーニョの戦術視点でチェルシーを分析していきたい。

顕著に現れた守備ラインの変化

 第一次チェルシー時代から、インテル、レアルの監督を経て、何が変わったのか。

 最も分かりやすいのは守備ラインの変化だ。第一次チェルシーでも、インテルでも、強豪と戦うときは自陣ゴール前を固めるのがモウリーニョの基本戦術だった。1トップ以外は全員が引いて、攻撃はロングカウンターにかける。彼のチームが攻撃サッカーの信奉者から「守備的」と揶揄(やゆ)されるのは、そのためだ。

 このような守り方は、バルセロナを始めとして、技術やパス回しに優れるチームを相手に有効な手段だと思われていた。実際にインテル時代にはバルセロナを沈めて09−10シーズンのCLを制している。だが、攻撃側のレベルが上がるにつれて、守備ラインを低くする戦術が攻略されるようになっていった。

 守備ブロックを固める最大の目的は、DFラインとボランチの間にできる「バイタルエリア」で相手にプレーをさせないことだ。だが、攻撃側の技術レベルが上がるにつれて、ゴール前を固めても狭いスペースでパスを受けられ、打開されることが多くなっていった。

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著者プロフィール

1982年7月6日生まれ。北海道旭川市出身。日本ジャーナリスト専門学校卒業後、放送作家事務所を経てフリーライターに。2005年から2009年まで『ストライカーDX』編集部に在籍し、2009年3月より独立。現在はサッカー、フットサルを中心に活動中。主な著書に「なぜボランチはムダなパスを出すのか?」「サッカーはミスが9割」(ガイドワークス)などがある。

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