羽生「胸に金メダル、誇らしい」=ソチ五輪日本選手団 帰国会見

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新潟勢、初のメダリストたち

アルペンから転向し、新種目のスキーフリースタイル・女子ハーフパイプで銅メダルを獲得した小野塚彩那 【スポーツナビ】

――小野塚選手と平野選手に伺います。これまで新潟県の選手が冬のオリンピックでメダルを取ったことは一度もなかったのですが、今大会は一挙に3人のメダリスト(小野塚、平野、男子ジャンプ団体銅メダルの清水礼留飛)が生まれました。そのことについての感想、要因について思うところがあればお願いします

小野塚 こんな場所でこのようなことを言っていいのか分からないのですが、一番最初にオリンピックが決まって、オリンピック会場に行ってゴールするまで、正直、オリンピックを滑っている感じではなく、1つの試合として大会に挑んでいました。私自身はオリンピックの前にX−Gamesの試合に日本人女子として初めて呼ばれて、オリンピックのファイナルに残ったメンバーを仮定して挑んだ試合だったので、そこを1回経験してオリンピックに入ったことで、平常心で挑めたのが一番良かったんじゃないかなと思います。

 いざ試合が終わって、メダルを掛けてもらったときに初めてオリンピックの偉大さというか、全てが初めての経験だったので、その時に初めてオリンピックに来たというか、オリンピックのメダリストになったのだという実感が湧きました。

――同じ新潟の選手の活躍は刺激になりましたか?

小野塚 最初にロシアに入ったのがちょうど男子の(スノーボード)ハーフパイプの試合の日で、モスクワの乗り換えのときに(平野)歩夢くんと(平岡)卓くんのニュースが入ってきました。良いタイミングというか、そこで士気を高められて、本当に良い状態の中で、スキーも負けていないんだぞというところを見せてやろうという気持ちで、現地に入ることができました。

平野 やっぱり新潟で生まれ育って、今まで新潟で支えてくれたり応援してくれた人のおかげでメダルを取れたと思っています。スノーボードだけじゃなくて、いろいろな競技で3人もメダリストが出て、また新潟からもいろいろ夢を持ってくれるキッズたちがいて、少しでも夢を与えられたのかなと思って、うれしかったしよかったです。

――平野選手にとってオリンピックはどんな大会でしたか?

平野 今まで出てきた海外の大会と比べて、雰囲気も出ていて、下にも家族だったりいろいろな国旗を持って応援してくれる人がいて、そういうところがオリンピックっぽいなと。ほかの選手たちもウエアを指定されていて、“らしくない”選手もいたんですけど、そういったところでオリンピックだなと思いました。

――銀メダルを取ったことで、自分自身は変わりましたか?

平野 今まではオリンピックを目標に10年くらいやってきて、オリンピックも終わって、まだ取材で忙しくて、疲れも取れていない状況です。これから目標とかは決まっていませんが、何か見つけてそれをまた頑張りたいと思います。

それぞれの報奨金の使い道は?

――報奨金の使い道について

平岡 貯金したいです。

平野 まだ何に使うか決まっていません。分からないです。

羽生 震災の寄付であったり、フィギュアスケートのリンクへの寄付だったり、そういうふうに使おうと今の段階では思っています。

竹内 今回の結果は1人で取れたものではなくて、特にコーチとサービスマンの支えがすごく大きかったので、1人ではなくて3人で分けて、あとは自分の分は活動費に使っていきたいと思います。

小野塚 唐突過ぎて何も考えてなかったんですが、竹内選手が言ったみたいに1人で取れたわけではないので、皆でと何か楽しいことをしたり、貯金したり、今後の活動費などに使っていきたいと思います。

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