「プロレスで沖縄の人に夢を伝えたい」=琉球ドラゴンプロレスの目指す道

長谷川亮

離島も含めて沖縄県内全部にプロレスを届けたい

昨年12月には大物レスラー・藤波辰爾も参戦した 【写真提供:琉球ドラゴンプロレス】

――現在は週末の定期興行のほかにどんな活動をされているのですか?

 会場へ置いているリングのほかにもう1つリングがあるので、イベント会場やショッピングセンター、お祭りの会場へそれを持っていって、屋内外問わずにやっています。最近だとイオンさんだったり沖縄のA&Wさんだったり。A&Wさんは外にリングを組んで3日間やりました。あとはディナーショープロレスとか宴会場でもやりました。僕らの名前が少しずつ広まっているのを感じますし、少しずつ受け入れられてきているのかなというのはあります。今は本当に怖いぐらい、いろいろなことがすごいスピードで進んでいます。

――将来的な構想を聞かせてください。

 とにかく沖縄の県内全部にプロレスを届けたいです。県内各所、離島を含めて。人口が少ない場所でも、何らかの形で全部行きたい。やっぱり沖縄で僕らが認めてもらうためには、沖縄の人が楽しいと思うものでないとダメだと思うし、そうすることで二次的に沖縄の子どもたちが夢を持つ対象であったり、いろいろなところへ行って盛り上げる対象であったり、そういうこともできるのかなって思います。僕は沖縄に生かされているし、恩返しするというのはそういうことだろうと思っています。

――今日も子どもたちからの声援がずいぶん多く飛んでいました。

 うれしかったですね。やっぱり僕はプロレスはそうでなきゃダメだと思うんです。僕は初代タイガーマスクに憧れて、あんな風になりたいと思ったし、プロレスがあったからいろんなことができて、いろいろな人にも会えた。いろいろな場所にも行けたし、すごくいい人生を送らせてもらっています。だから何かそういう体現者でありたいというのもあります。

――琉球ドラゴンプロレスを見て、プロレスラーになりたいという子どもが出てくるといいですね。

 プロレスラーに限らなくてもいいんです。いろいろな苦しいことがあったりしますけど、苦しい時にグルクンマスクは負けたままだったか? いや違うだろっていう風に思い出してくれたりとか。そういういろいろな副作用というか、二次作用でも何でもいいので、子どもたちが見て憧れたり、夢を持ってくれたりすればいいかなと思っています。

昨年末のビッグマッチには藤波辰爾も参戦

「子どもたちがプロレスを見て何かを感じてもらえればいい」と語るグルクンマスク。「5年以内に県内で一番大きな会場である県立武道館で大会をやりたい」と目標を持つ 【長谷川亮】

――昨年末のビッグマッチ「KOZA BATTLE FESTA2」にはレジェンド・藤波選手の参戦がありました。これはどういった経緯で?

 僕はずっとプロレスラーになりたいと思っていて、でも25の時にもう完全に諦めて、いちファンになろうと思ったことがあったんです。けど最後に一度でいいからプロレスのリングに上がりたいと思って、それで当時藤波さんがやっていた団体のプロレス教室というか1日体験みたいのがあって、応募してそれに行ったんです。100人ぐらいがいる中で、その時初めてプロレスのリングに上がって、もうリングへ上がっただけで涙が止まりませんでした。
 そのうえ藤波さんが僕を呼んで、お前ちょっと体格がいいから技の受け手になれって。それで技を受けたり、動きを実演する役をやらされて、藤波さんに「いい動きしてるな」って言われたんです。そこで僕は何年もくすぶっていたものが一気に弾けたというか、「何歳になっても絶対プロレスラーになろう」ってその時思ったんです。そこからデビューするまで4年か5年掛かったんですけど、プロレスラーになって“やっぱりあの時藤波さんにああいう風に言っていただいたから僕はプロレスのリングに上がれたんだな”と思って、いつかやりたいっていう気持ちがあったんです。

――それが団体を旗揚げし、遂に昨年実現したと。

 僕はシングルマッチをやれるだけのステータスも何もないのでずっと無理だと思っていたんですけど、今回ダメもとでお願いしたら快諾していただいて。僕のルーツというか、あそこで藤波さんと出会っていなかったら、右に行っていたか左に行っていたか分からないです。その話をリング上でしたんですけど、すごくビックリされていました。

――その後の人生を大きく変える出会いだったのですね。

 プロレスっていうのは僕みたいないい歳になってもそういう夢があったり夢の話ができる、思いがあって深みのあるジャンルだと思います。なのでこれをどうにか、いろいろな人に伝えたいです。やっぱり僕はプロレスで救われて、育てられ作られたところがすごくあるので、その一端でもいいから何か伝えられたらと思っています。だからまずとにかくいろいろなところへ行っていろいろな人に見てもらいたい、届けたいです。沖縄県内でプロレスを実際に見たことがある方はそんなにいないと思うので、でも見たらきっと好きになってもらえると思います。やっぱり僕がプロレスにすごく影響を受けて、「頑張ろう」ってなったのと同じぐらい、いろいろな人にそういうことを伝えたいです。

――では、そうした夢へ向けて琉球ドラゴンプロレスリングをはまだ走り出したばかりと。

 そうですね。今後は2月でこの会場がこけら落とししてから丸1年になるので、こけら落としの1周年と旗揚げ1周年が4月にあります。ゴールデンウィークは県内各所をイベントで回りたいし、年間通して1回ぐらいはコザ(沖縄市)の音市場という大きい場所があるんですけど、そこでイベントができれば。そうやって段階を踏んで、いずれ5年以内に県内で一番大きな会場である県立武道館で大会をやりたい。それはみんなで見ている目標です。

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著者プロフィール

1977年、東京都出身。「ゴング格闘技」編集部を経て2005年よりフリーのライターに。格闘技を中心に取材を行い、同年よりスポーツナビにも執筆を開始。そのほか映画関連やコラムの執筆、ドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(2017)『沖縄工芸パラダイス』(2019)の監督も。

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