クラブ発展の分岐点となったGM招へい 奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第8回

吉田誠一

幻に終わった鈴木政一のGM就任

08年にGMに就任し、海野会長(右)と握手する佐久間氏(左)。緻密な分析に基づいた先進性が強みだ 【写真:ヴァンフォーレ甲府】

 財力の乏しい地方クラブは、必然的に選手補強に苦しむ。経営危機に瀕したヴァンフォーレ甲府は、その悲哀を味わってきた。当時を振り返り、会長の海野一幸は「どこからも声の掛からない新卒選手や、他のクラブを戦力外になった選手を集めるしかなかった」と話す。

 だから独自にセレクションも実施した。1人1万円の受験料を取って収入源にしたというところが泣けてくるが、毎年200〜300人が応募してきたという。書類選考でふるいに掛けた後、監督、コーチがプレーを評価した。各クラブの社長やマスコミなどから得た情報をもとに、海野と統括部長の今泉松栄(現取締役)が選手獲得に動いたりもしたが、海野にはサッカー経験がないことへの負い目があった。代理人を付けた選手が増える中、年俸交渉の席で代理人と渡り合える「チーム編成のプロ」の必要性を感じ始めた。育成組織を充実させる上でもGM(ゼネラルマネジャー)が必要だった。

 そこで目をつけたのが、ジュビロ磐田の監督として2002年にリーグ制覇し、強化部長などを歴任した山梨県出身の鈴木政一(現U−19日本代表監督)だ。海野の耳には「故郷のサッカー界のために力を尽くさなくては」という鈴木の言葉が届いていた。07年秋、人目を忍んで会ってみると、鈴木の反応は良かった。磐田の右近弘社長の了承も得た。本人に年俸を提示し、甲府市内の住まいを探すところまで話は順調に進んだ。しかし、年が明けると磐田サイドが異を唱え、あっけなく鈴木のGM招へいは白紙に戻った。

GMに就任した佐久間悟の先進性

 07年に甲府はJ1リーグ17位に沈み、J2に逆戻りする。ますますGMの必要性が高まった。ここで狙いを定めたのは大宮アルディージャのテクニカル・ディレクターとしてクラブをJ1に定着させた佐久間悟。NTT関東サッカー部のプロ化に尽くし、コーチ、監督、育成組織の指導者など多岐に渡る職をこなしていた。

 その佐久間が「大宮を出て新たなチャレンジをしたい」と話しているのを海野は聞きつけた。日川高校の後輩であり、大宮のアドバイザーを務めていた清雲栄純から佐久間の仕事への熱意と人柄の良さも耳にしていた。優れたブラジル人選手を獲得した数々の実績があり、05年の甲府のJ1昇格の立役者である(FWバレーを発掘したのも佐久間だった)。しかし、どのクラブも優秀なGMを欲している。複数のクラブからオファーがあったが、その中から佐久間はJ2の甲府を選択。08年10月、甲府は念願のGMを手に入れた。これがクラブのさらなる発展の分岐点になる。

 佐久間はすぐさま甲府の現状を分析し、「世界のOnly Oneクラブを目ざして」という報告書をまとめた。副題には「理想を見つつ現実を離れず」とあり、目指すべきものの1つに「日本を代表する国際的な地域密着の育成型クラブへの変革」を挙げている。現在、甲府は山梨県が推進するインドネシアとの交流事業を支援し、同国選手の獲得や現地でのスクールの展開を模索しているが、佐久間は就任時にすでに「海外クラブとの提携によるタレントの獲得とスポーツビジネスの確立」を重大施策と位置づけていた。緻密な分析に基づいた先進性が、佐久間の強みだろう。

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