リーダーに必要なのは資質よりも動機付け=バレー眞鍋監督・女子力の生かし方 第3回

高島三幸

木村沙織にキャプテンを任せた理由

眞鍋監督は、大舞台での経験豊富なエース・木村(写真)をキャプテンに指名した 【坂本清】

 私が16年リオデジャネイロ五輪までの監督を引き受けた時、次のキャプテンは木村しかいないと決めていました。彼女を選ぶ一番の理由は豊富な経験です。3度の五輪、世界選手権を戦い、それぞれ銅メダルを獲得した実績を持つ。吉原知子、竹下、荒木という3人のキャプテンを見てきたのも彼女しかいません。五輪という舞台は、想像できないほどのすさまじいプレッシャーがのしかかる特別な場所。どんなに能力が高い選手でも緊張し、自分のプレーをさせてもらえなくなります。しかし、世界ランキング3位のわれわれが狙うのは、もう金メダルしかありませんから、大舞台での豊富な経験こそ、キャプテンとしての大きな強みになると考えました。

 高校から全日本メンバーに選ばれるなど輝かしい経歴を持つ木村ですが、キャプテンの経験はありません。しかし、不安は全くありませんでした。むしろ、“キャプテンの色”がついてなくて良いと思ったぐらいです。先ほどもお話した通り、理想のキャプテン像は自分で作っていくものですから。

 木村はおっとりしたイメージがあり、先頭に立って言葉巧みに引っ張るタイプではないと思います。実際、私が監督に就任した直後も、ミーティングなどでは発言しない選手でした。エースで経験があるにもかかわらず、いつまでも年下モードが抜けない。先輩への遠慮もあったでしょうし、口にすればそこに責任が生まれますから、避けていたのだと思います。
 そんな彼女に私は「それではダメだ」「それは卑怯だ」と厳しい言葉を発しました。彼女は涙を見せましたが、プレーだけでなく精神的にも、一段も二段も上に上がってほしかったというのがその時の真意です。

 その日を境に木村は変わりました。ミーティングでも自身のプレーのことだけでなく、チームのことを考えた発言が出てくるようになった。自主性が芽生え、次第に、スパイカーの柱という大役を果たしていた彼女に、私が叱咤(しった)することは、ほとんどなくなりました。ロンドン五輪までの4年間でそんな成長も見られましたから、キャプテンも十分にやっていけると確信していたのです。

心細くなる時期にあえてキャプテンを打診

 しかし、全日本のキャプテンを務めるには、並々ならぬ決意が必要です。44人という大所帯を支えなければいけない。竹下も荒木も最初はキャプテン就任を断っています。そこで、私は木村に伝えるタイミングを計りました。

 12年、彼女は初めて海外へ飛び出し、トルコリーグのワクフバンクでプレーをしていました。海外リーグの厳しさを痛感し、ホームシックにかかるころが、渡ってからだいたい3カ月後だと考えた私は、あえてそのタイミングを狙い、翌年1月に彼女に会いに行きました。私も海外リーグでプレーした経験があるので、心細くなる時期が分かるのです。案の定、木村は言葉も分からず、コートにも立てないという、今までに味わったことのないつらさを経験していました。

「眞鍋さん、もうバレーボールをやめたいです。13年のグラチャンを最後に引退させてください」
 イスタンブールのステーキハウスを予約し、そこで肉を食べながらキャプテンの打診をしようと思った矢先に、私は先制パンチを受けました。ロンドン五輪が終わり、木村は燃え尽き症候群に陥っていたのです。当然です。それぐらいの覚悟で臨まないとメダルは取れない。それはすべて計算内でした。

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著者プロフィール

ビジネスの視点からスポーツを分析する記事を得意とする。アスリートの思考やメンタル面に興味があり、取材活動を行う。日経Gooday「有森裕子の『Coolランニング』」、日経ビジネスオンラインの連載「『世界で勝てる人』を育てる〜平井伯昌の流儀」などの執筆を担当。元陸上競技短距離選手。主な実績は、日本陸上競技選手権大会200m5位、日本陸上競技選手権リレー競技大会4×100mリレー優勝。

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