高梨沙羅の強さの“ルーツ”

高野祐太

17歳高梨、際立つ強さ 今季W杯7戦中6戦で優勝

17歳の金メダル候補、高梨沙羅。ジャンプもバレエも勉強も。強さ支える高梨の気質とは 【築田純】

「なんせ普通の子だと思ったらだめだよ。普通の子供は親に言われてやるものだけど、あの子は違う。あの子は全部自分でやる子だから」
 ソチ五輪・女子スキージャンプ日本代表の17歳、高梨沙羅(クラレ)の子供時代を知る幾人かが語った当時の様子についての証言は、「そこまでやってしまうのか」と、驚かされる内容だった。152センチの小柄な体を弱点にしないセンスの良さも、年端も行かぬころから、寸暇を惜しんで、自らの意思で、物事に取り組んで来た“揺るがぬ向上心と普通じゃない努力家気質”が生んでいるというのだ。
 それは、高梨が憧れる女子ジャンプのパイオニアであり、今季から全日本のコーチをしている山田いずみ氏の「よく沙羅は才能があると言われるけど、実は人一倍の努力家だからあんなジャンプができるんです」という見方とも合致する。

 五輪まで1カ月を切って、高梨の強さは際立って来ている。地元開催のワールドカップ札幌2連戦(1月11、12日)で、右ひざのけがでリハビリ中のサラ・ヘンドリクソン(米国)を抜く歴代最多の通算14勝目と15勝目を挙げた。今季の7戦中で6勝という断トツの成績。地の利は考慮するにしても、強さは他を圧倒していた。
 自分を支えてくれる周囲の人への感謝の気持ちを強く持つ高梨は、昨年の同大会で表彰台に上れずに「応援に来てくれた地元の方々に良いジャンプを見せられず残念」と悔しがっていただけに、その分を取り返す恩返しのジャンプができた充実感によって、勇気をさらにもらえることにもなるだろう。ソチの金メダルに最も近い存在だと断言できるほどの内容を見せてくれた。

 あえてマイナス要素を探せば、五輪本番のジャンプ台が、元来苦手としている助走路の斜面のカーブが緩い形状であること、テレマーク姿勢をマスターする途中であること、ライバルのヘンドリクソンが復帰すれば脅威となること――などが考えられる。だが、悪天候だった札幌を安定感抜群で乗り切った適応力の高さは成長の証しであり、フィジカルを鍛えた今季はむしろ飛型点で逆転勝利するほどに着地姿勢が改善された。「サラさんがいないとモチベーションが保ちにくい」と漏らすほどの意識の高さを持つ高梨にとって、宿敵の復帰はむしろ闘志に火を付けることになるだろう。
 自己評価に慎重な高梨が、札幌では「良い感覚で飛べた」「寒い中、足を運んでくれた方に楽しんでいただけたかなと。うれしい」など、納得した様子のコメントを口にしていたあたり、相応の手応えがあるものと思われる。

手作り練習場で磨いた飛ぶ技術

女子ジャンプの第一人者で、コーチを務める山田いずみ氏。「人一倍の努力家」と高梨を評する 【築田純】

 高梨の技術的な要点は、ジャンプ台からの飛び出し(テークオフ=サッツ)でのタイミングの的確さ、恐怖心にも打ち勝って助走スピードを最大限に生かす前方向に素早く飛び出せること、空中でのバランス感覚の良さなど。札幌大会では、それらがかなりの水準で磨き上げられていたように見えた。だが、それを実現させるセンスは、小さな頃から没頭するほどに繰り返した練習があったからこそだと、冒頭の地元関係者が言う。微妙な動作の違いが決定的な差となるジャンプ競技において、いわゆる“ゴールデンエージ”と言われる時期(※注:8〜12歳前後。神経系が完成に近づき、スポーツ技術の習得が、最も短期間で最適にできる時期と言われる)から正しい動作を徹底的に身体に染み込ませていたのだとするなら、その積み重ねは大きい。

 重視したのが、サマージャンプのなかった時代に行った夏場の練習だった。その中でも特に鍵となったのが、自宅裏に手作りした小さなジャンプ台を車輪の付いたローラースキーで飛ぶ練習と、体育館の舞台部分に跳び箱を乗せ、その高い地点からマットを敷いた床にジャンプの姿勢で飛び降りる練習だったという。
「ローラースキーは本当のスキーより短いから飛び出すタイミングをごまかせない。タイミングが少しでも遅れると台を踏み外して痛い思いをするんだよね。それから、台から飛び降りる練習は恐怖心を克服するのに役立った」
 そんな練習に着目したのは元選手だった父親の寛也さんであり、上川町でジュニアを育ててきた先人たちだった。詳細は次の機会にするが、地域の環境が高梨の才能を開花させた、とも言えるわけなのだ。

 とは言え、その練習をモノにしたのは高梨自身であり、そこには類いまれな向上心と努力とがあった。まず、ジャンプをやりたいと言い出したのは、小学2年の高梨自身だった。兄の寛大の飛ぶ姿を見ていた小さな少女が、すぐに空中を舞う爽快感のとりこになった。怖いなんて思いはこれっぽっちもなく、「面白かった」と、平然と振り返る。
 まだ女の子がジャンプを飛ぶことの認知度が高くなかった当時。両親はむしろ、やらせたくはなかった。母の千景さんは既に習っていたバレエをやらせたかったし、父の寛也さんはどうしたって兄の指導に熱心だった。だが、娘は思い通りにはなってくれなかった。父は「どうしてもやりたいなら構わないが、その代わり中途半端にはならないように」と問うたが、娘は「はい」と返事し、決意が揺らぐことはついぞなかった。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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