柿谷がベルギー戦で示した点取屋の真髄=大迫とのFW争いで代表攻撃陣活性化へ

元川悦子

劣勢を覆す起死回生の同点弾を決める

代表では7戦ぶりとなる得点を決めた柿谷(左)。強豪ベルギー撃破に貢献した 【Getty Images】

 ブリュッセル・ボードワン国王スタジアムに4万3000人近い大観衆を集めて行われた現地時間19日夜のベルギー対日本戦。3日前のオランダ戦(ゲンク)でミスから早々と失点したザックジャパンとしては、同じ轍を踏まないよう、守備に細心の注意を払って大一番に向かったはずだった。

 ところが前半15分、またもミスの連鎖が起きる。中盤からエデン・アザールが大きく左に蹴り出したボールに反応したロメロ・ルカクに対し、GK川島永嗣が飛び出してかわされ、吉田麻也も追いつけずに中に折り返された。これを中央にいた酒井高徳がクリアしていれば何の問題もなかったのだが、彼は背後から飛び込んできたケヴィン・ミララスに気づかず、あっさりとゴールを許してしまった。「普通の当たり前のことをおろそかにしているのかなと。しっかり1からやっていかないといけない」と酒井高も反省しきりの手痛い失点だった。

 2戦連続で序盤から苦境に陥った日本。このままズルズル行ってもおかしくなかった。しかしベルギーの勢いが止まり、徐々にチャンスが増えてきた前半37分、起死回生の同点弾が生まれる。山口螢→酒井宏樹→本田圭佑と右サイドでボールがつながり、相手を引きつけた本田が酒井宏にいいタイミングで縦パスを送った。背番号21は中央をしっかり見てマイナス気味のクロスを上げる。
 この瞬間、柿谷曜一朗はゴール目がけて一目散に動き出し、トビー・アルデルワイレルトとダニエル・ファン・ブイテンの間のスペースを鋭き突き、豪快なヘッド弾をたたき込んだのだ。

6戦連続無得点に笑顔が消えた柿谷

 Jリーグではめったにお目にかかれないパターンの得点が決まり、日本は1−1の同点に追いつく。7月の東アジアカップ以降、主力組1トップに抜擢されてきた若き天才アタッカーにとって、本当に待ちに待った一発だった。
「すごくいいボールやったんで、飛び込むだけでした。何試合か結果が出てない中で、ずっとゴールしたい気持ちはあった。7試合もかかったのはホントに申し訳ないです」と本人も言うように、8月のウルグアイ戦(宮城)でレギュラーに抜擢されてからの彼はゴールを奪えないことに責任を感じ、苦悩する日々を強いられてきた。

 2試合3ゴールと華々しい代表デビューを飾った東アジアカップの頃の柿谷は、ピッチ上で笑顔を絶やさず、つねにチームの雰囲気を明るくしていた。だが、ウルグアイ戦、9月のグアテマラ・ガーナ2連戦、10月のセルビア・ベラルーシ2連戦と無得点が続くと、徐々に表情がこわばり、笑顔が消えていく。メディアに対しても同様で、最初は何を聞かれても気さくに答えていたのに、口数が減る一方だった。

 10月遠征で2戦続けてGKとの1対1を外し、連敗の遠因を作ってしまった時には「僕らが点を取れないのが原因なんで。それだけやと思います」とやり場のない怒りを口にするのが精いっぱい。明らかに追い詰められた様子を見せていた。

ザック監督も連携不足に「時間が必要」と認める

 本田や香川と組むようになってから、「代表の新エース」としての期待は日に日に高まっていった。柿谷人気は最高潮に達し、C大阪の試合や練習場には想像を絶するほどのファンが詰めかける。にもかかわらず、肝心の代表での結果がついていかない……。そのギャップに、彼は確かに戸惑っていた。

 もちろん、その原因は柿谷1人にあるわけではなく、パスを出す配球側にも問題があった。とりわけ、10月2連戦では、裏への飛び出しを再三試みていた彼に長谷部誠や遠藤保仁の両ボランチからチャンスボールが思うように出ず、前線で孤立する場面が目立った。アルベルト・ザッケローニ監督も「柿谷は日本人的ではない部分がある。日本にはポゼッションであったり、パスをつなぐであったりと、コンビネーションで相手ゴールに迫っていくというサッカー文化があるが、彼の場合は一発で裏に抜けることを好み、抜けるタイミングを持っている。チームメートも彼の特徴を理解し、生かしていく時間が必要だ」と連携不足を認め、時間をかけて見守っていく姿勢を示した。が、当の本人にそこまでの余裕はない。理想と現実の狭間に立たされ、苦しみ、もがくばかりだった。

 足踏み状態から抜け出さなければ、主力組から外されるのはもちろん、代表落ちさえありえる。以前から「代表に入りたい」と公言してきた柿谷にしてみれば、それだけは絶対に許されなかった。今回の11月2連戦はまさに「背水の陣」で挑んだことだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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