“大人のGK”へ変貌を遂げた榎本哲也=堅守マリノスを支えるゴールの門番

小林智明(インサイド)

トリコロール一筋の守護神

10月のリーグ戦3試合を無失点に抑えた榎本。首位攻防戦となった広島戦では抜群の飛び出しでピンチを防いだ 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 守って当然、ミスを犯せば失点に直結し、「得点」を一発決めればヒーローになれるオプションには恵まれない因果なポジション、GK。彼らは普段、なかなかスポットライトが当たらず、どうしてもフィールドプレーヤーと同列で評価される機会が少ないようだ。

 しかしながら、横浜F・マリノスの守護神、榎本哲也が、10月のJリーグ月間MVPを受賞した。非常に晴れやかな気分で、良く見ていてくれたと感謝したい。この朗報、榎本を昔からよく知るファン・サポーターのうれしさもひとしおだろう。榎本は、小学生時代(マリノスプライマリー新子安)からトリコロール一筋。2002年にユースからトップ昇格し、07年からGKの象徴、背番号「1」の付いたユニフォームをまとい、完全にレギュラーへと定着した。

 ところがだ。09年に彼の前に突如、“壁”が現れた。そのシーズン、7節まで1勝3分3敗と波に乗り遅れたチームは、特効薬として先発GKをチェンジ。榎本は、ユースの後輩でもある飯倉大樹に定位置を奪われ、控えに甘んじる時期が長く続く。ただしその年の終盤は、ヤマザキナビスコカップ準決勝での接触プレーで飯倉が公式戦6試合出場停止処分を受けた影響もあり、ピッチに復帰。ポジション争いの舞台に再び立つことができた。

正GKの座を奪われた2年10カ月

 だが翌年からは、さらに壁が立ちはだかる。10年シーズン、チームが正GKにオーダーしたのは、榎本ではなく、前年に台頭した飯倉だった。開幕戦でその座を譲ると、それから長いリザーブ生活が始まる。公式戦出場は10、11年の2年間でJリーグ以外のわずか2試合のみ。正GKに君臨した充実の日々とは天地の差ほどあるギャップを味わい、「不遇の時」の言葉では済まされない屈辱感に苛まれたはずだ。

 いつ晴れるか分からない漆黒の闇の中で、もがき、耐え抜いた。普通ならグチの一つでもこぼしたくなるところだが、中堅選手然とした自覚を持った彼は「チームへの影響を考え、常に明るく振る舞うことに努めた」(榎本)。そして「俺は誰にも負けていない」と胸の奥に矜持を秘め、自宅で見る愛娘の笑顔に「頑張らねば!」と自身を奮い立たせ、再びリーグ戦の舞台に立つ日を待ち続ける。

 約1000日ぶりの復帰戦は、12年9月22日の第26節・鹿島アントラーズ戦(2−1)。09年の最初の挫折とは逆の立場になり、3連敗中だったチームの負の流れを断ち切るきっかけ役として先発起用。ところが後半途中に足をつり、結局65分に無念の途中交代。試合後は「俺に話、聞くんですか? 足つって痛めたから恥ずかしい(苦笑)。久々の試合で気持ちが高まり過ぎちゃったのかな。心と体が一致していなかった」と照れくさそうに話した。

 そんなほろ苦い復帰戦だったが、その後も6戦連続で先発出場し、今シーズンへの素地を築く。数年前にヒットした、あるテレビドラマの主人公が、こんなセリフを吐いていた。

「神様は乗り越えられない壁をつくらない」

 榎本は、その体現者と言えるだろう。自分を信じ、リーグ戦復帰までの約2年10カ月もの間、耐え忍び、困難極まりない壁を乗り越えて見せた。

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