オシムの目に涙! 悲願達成したボスニア
“4度目の正直”で手にしたW杯への切符

敵地にボスニア・サポーター4000人が集まる

最終節でリトアニアに勝利し、建国21年にして初めてW杯出場を決めたボスニア・ヘルツェゴビナ
最終節でリトアニアに勝利し、建国21年にして初めてW杯出場を決めたボスニア・ヘルツェゴビナ【写真:AFLO】

 紅葉に色づくカウナスの街は、青色と黄色、そしてサポーターの歌声があふれていた。念願のワールドカップ(W杯)初出場まであと一歩。ギリシャとは勝ち点で首位に並んでいるものの、敵地リトアニアで勝利すれば、ギリシャに得失点差で大きく上回るボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)のブラジル行きが決まる。


「ボスニアのために悲しみ、ボスニアに喜ぶ。ボスニアは俺の人生の一部。ボスニアよ、お前はチャンピオンだ!」


 収容8248人のダリウス・アンド・ギレナス・スタジアムに集まったボスニア・サポーターはおよそ4千人。当初は小都市マリヤンポレで開催する予定だったものの、ボスニア・サッカー連盟が「サポーターがスタジアムに収まりきらない」と、リトアニア・サッカー協会に変更を申し入れていた。


 ビール片手にカウナス中心部で盛り上がるサポーターに居住国を尋ねると、ドイツ、スイス、スウェーデン、オーストリアといった外国ばかり。「ガスタルベイテル」(外国人労働者)として戦前のユーゴスラビアを離れた者、90年代のボスニア紛争で難民として国外に逃れた者、その二世や三世がアウエーの地におけるボスニア・サポーターの中心だ。ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の3民族による闘争に明け暮れたボスニアはいまだ経済的困難にあえいでいるが、遠く離れた祖国への愛情を結晶化する絶好の機会こそ代表サポートなのだろう。そしてボスニア代表を応援するのは、もっぱらムスリム人ばかりだ。

オシムの尽力、取り除かれた膿

 攻撃陣のタレントを輩出し続けるボスニアがこれまで大舞台と無縁だったのは、「チャンスの神様」の前髪を捕まえきれなかったためだ。ユーロ(欧州選手権)2004予選の最終節、ブラジュ・スリシュコビッチ監督率いるボスニアは、首都サラエボのコシェボ・スタジアムにデンマークを迎えた。MFハサン・サリハミジッチ、MFセルゲイ・バルバレス、FWエルビル・ボリッチらを擁し、勝利をもぎ取れば本戦出場を決めることができた。しかし、満員のサポーターの後押しも実らず、早い時間帯の失点が重荷となって1−1のドロー。出場枠をデンマークにあっさり譲ってしまった。


 それから6年後、新たな指導者の下でボスニアは再びチャンスを迎える。愛国主義をうたい、クロアチアを1998年フランスW杯3位に導いたミロスラフ・ブラジェビッチ監督は、ボスニア出身のクロアチア人だ。彼の監督指名は波紋を呼んだが、ユーモラスでエキセントリックな発言でメディアの寵児(ちょうじ)になり、ボスニア代表をカルト的な人気にまで持ち上げた。相性の悪いコシェボではなく、収容の少ないゼニツァのビリノ・ポーリェ・スタジアムを予選で使い続けたのも彼の時代から。FWエディン・ジェコ、FWベダド・イビシェビッチ、MFズベズダン・ミシモビッチが攻撃の核となり、全勝のスペインに次ぐ2位でプレーオフ進出。しかし、抽選で引いた相手が悪すぎた。クリスティアーノ・ロナウド抜きのポルトガルに0−1のスコアで連敗し、南アフリカ行きは夢に終わった。


 後任に選ばれたのが現監督のサフェト・スシッチ。「20世紀におけるボスニア最優秀プレイヤー」にも選ばれた彼は前任者と違って物静かなタイプだが、そのカリスマ性でチームをまとめ上げていった。


 しかしながら、ユーロ2012予選を戦うボスニアの障壁になったのが国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)だ。ボスニア大統領職と同じく、サッカー連盟の会長職も3民族による3人体制であることに難癖をつけ、資格停止処分を科したのが2011年4月のこと。直後に発足した正常化委員会の座長(事実上の会長代行)に就任し、祖国を救おうと立ち上がった人物がイビチャ・オシムだった。


 彼はFIFAとUEFAが要求する「会長一人制」導入に尽力し、処分解除を導くだけでなく、サッカー連盟内にまん延する膿を取り除こうと一年半にわたって身を粉にして働いた。師弟関係にあるスシッチ監督の相談役にもなり、ボスニアは予選後半の4連勝で首位フランスに勝点差1まで肉薄する。最終節はスタッド・ド・フランスでの直接対決。前半にジェコのゴールでボスニアが先制し、本戦出場を一度は手中に収めたはずが、76分に主将のDFエミール・スパヒッチが不注意でサミル・ナスリを倒してPK。このミスが致命傷となった。プレーオフの相手はまたしてポルトガル。ホームでは0−0で引き分けたものの、リスボンで6−2と粉砕され、ボスニアの人々は己の運のなさを呪った。

長束恭行
長束恭行

1973年名古屋生まれ。サッカージャーナリスト、通訳。同志社大学卒業後、都市銀行に就職するも、97年にクロアチアで現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて退職。以後はクロアチア訪問を繰り返し、2001年に首都ザグレブに移住。10年間にわたってクロアチアや周辺国のサッカーを追った。11年から生活拠点をリトアニアに。訳書に『日本人よ!』(著者:イビチャ・オシム、新潮社)、著作に『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)。スポーツナビ+ブログで「クロアチア・サッカーニュース」も運営

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