オシムの目に涙! 悲願達成したボスニア=“4度目の正直”で手にしたW杯への切符

長束恭行

「4度目の正直」を目指したボスニア

ボスニアのために尽力し続けたオシム(左)。出場が決まった時には、涙ぐむ姿が見られた 【写真:AFLO】

「助けてくれ、チトー。もし貴方が神をご存知ならば」

 カウナスの会場には、ムスリム人が今でも敬愛する「ユーゴ連邦の父」へのメッセージも掲げられた。また試合日はイスラム教徒の祝祭日「犠牲祭」だったこともあり、信者は早朝からアラーに祈っている。4度目の正直とも言える今予選は「どの試合もプレッシャーがかかる闘い」(オシム談)だった。

 最大のライバルと目されたギリシャとは1勝1分。今年9月に地元でスロバキアに敗れたのは誤算だったが、4日後に敵地でスロバキアに逆転勝ちするなどチームに精神的な成長も見られた。ブラジル行きを目前にサポーターが高揚する一方で、選手たちは至って慎重。なにしろ過去の苦い記憶がある。試合前から勝利を確信することなどないよう、サッカー連盟はサラエボ空港を封鎖させ、サポーターに深夜の出迎えを慎むよう告知したほどだ。

 ギリシャは最終戦でグループ最下位のリヒテンシュタインと対戦するだけに、ボスニアはリトアニアに勝たねばならない。チャーター機で試合当日にカウナスに到着したオシムと私は2年ぶりの再会を果たしたが、いきなりオシムに結果予想を尋ねられた。「1−0で充分ですよね」と返答すると、ニヤリとしながら「リトアニアだって1−0で充分だ」。リトアニア戦がどれほど難しい試合になるか、彼もまた分かっていた。

 圧倒的に攻めるボスニアに対して、ゴール前に「ブンケル」(塹壕)を作るリトアニア。ジェコとイビシェビッチの2トップは今予選でここまでに17得点をたたき出しているが、クロスボールに両者が交錯して口論する場面が見られるなど、先制点を奪えぬボスニアは神経質に陥っていた。MFミラレム・ピャニッチは9分と30分に得意のFKを放つも、続けてGKギエドリウス・アルラウスキスの好守に阻まれた。もどかしさの残る前半だったが、ハーフタイム後の「ズマイェビ」(「竜」という意味のボスニア代表の愛称)は冷静さと辛抱強さを取り戻していた。

ボスニア国家における最大の快事

「超守備的なチーム相手に解決策を見つけるのは難しかったが、ゴールを決められる瞬間があることは分かっていた。それだけの選手たちがチームにいるのだから」(スシッチ監督)

 その瞬間は68分に訪れた。ジェコが左サイドをするりと突破し、中央に折り返したボールにイビシェビッチが右足で合わせる。ゴール直後のイビシェビッチは喜びの表情を作ることなく、重圧から逃れたような放心状態だった。ゴール裏の一角を占める急進的サポーター「ファナティコス」は待っていたかのように横断幕を掲げる。

「ブラジルよ。お前たちのところにBHF(ボスニア・ヘルツェゴビナ・ファナティコス)がやって来る」

 ロスタイムを含む25分間を凌ぎ、主審の終了を告げるホイッスルが鳴ると、ボスニア代表の面々がピッチ中央になだれ込んだ。10年前のデンマーク戦を唯一知る主将スパヒッチは男泣きし、ファナティコスから受け取ったボスニア旧国旗を片手にひざまずいてピッチにキス。VIP席に目をやるとオシムがハンカチで目頭を押さえていた。

 建国から21年。ボスニア国家における最大の快事に、本国や隣国のセルビア人やクロアチア人からも少なからず祝福の声が届いている。ボスニア代表は3民族の選手が混じる統一チームだが、サポーターの3民族統一までは不可能だ。だが、もしやW杯出場を機に「何か」が変わるかもしれない。それもポジティブな方向に。

「われわれは学びに行くためにブラジルへ行くのではない」(スシッチ監督)

 いよいよ次は、ボスニアという国を世界にアピールする大舞台だ。

<了>

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著者プロフィール

1973年名古屋生まれ。サッカージャーナリスト、通訳。同志社大学卒業後、都市銀行に就職するも、97年にクロアチアで現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて退職。以後はクロアチア訪問を繰り返し、2001年に首都ザグレブに移住。10年間にわたってクロアチアや周辺国のサッカーを追った。11年から生活拠点をリトアニアに。訳書に『日本人よ!』(著者:イビチャ・オシム、新潮社)、著作に『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)。スポーツナビ+ブログで「クロアチア・サッカーニュース」も運営

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