佐藤有香コーチの挑戦とプロ人生=元世界女王、節目の五輪シーズンへ

辛仁夏

指導5年目、アボットと節目のシーズンへ

アボット(中央)からの“ラブコール”で始まった師弟関係。五輪を控えた今季、2人にとっても節目のシーズンとなる 【Getty Images】

 そんな充実したプロスケーターの生活に区切りをつけたのは、トップ選手として活躍していたジェレミー・アボット(米国)がコーチ要請をしてきたことからだ。当時36歳の佐藤は、ハードなツアープロを続けるか、それとも別のキャリアに挑戦するか、年齢的な面で岐路に立っていたという。スケート指導については、プロスケーターの活動をしながら、所属していたリンクで時々、小さな子供たちを教えていた経験はあった。しかし、世界を舞台にするトップ選手を指導するのは初めてのこと。それでも、キャリア変更の迷いはなく、専任コーチとして偉大な父であり、世界殿堂入りも果たした佐藤信夫氏と同じ指導者の道に入った。

――現在はコーチ業に専念していますが、プロスケーターの活動からどうしてコーチに転身したのですか?

 09年6月に、ジェレミーが電話をしてきてくれて「僕のコーチになってくれませんか?」と言ってきて、「はい」と。承諾した後はそれまでの自分の生活はすべてサイドに置いて、コーチ生活が始まりました。トップスケーターの一番弟子としてはジェレミーです。その後、(アリッサ・)シズニーからもヘッドコーチになってほしいと頼まれて、それから受け持つ選手が増えていきました。いまでは、国際大会に出るシニアのシングル選手が5カ国(米国、カナダ、日本、メキシコ、イタリア)5人です。そして、ペアの高橋、木原組がいます。

――トップ選手らのヘッドコーチとして、どのような生活を送っていますか?

 プロスケーターとしての自分の練習というか滑りは、1日のうちで朝一番の30分程度が限度ですね。その後すぐにコーチの仕事が入り、朝9時過ぎから夕方5時過ぎまで、遅ければ8時までリンクにいて時間的にはめいいっぱいですね。実際に教えている時間は5時間くらいですが、他の雑用などもあって昼食を食べられないほど忙しく、自分のための時間は作れないのが現状です。トップスケーター5人とペアの2人にプラスして小さい子達や学生さんたちも教えていますから、結局1日中拘束されています。だから、1日教えた後の夜は何もする気が起きない生活です。プライベートな時間は寝る時間くらいで、座ったとたんに眠くなる感じなので、もうちょっと時間に余裕があればいいですね。でも、疲れはしますが、幸い好きな仕事ができています。

――プロスケーター活動をしながら、いずれはコーチとして活動したいと思っていましたか?

 生まれ育ってきた環境というか、いずれは自分が教えるんだという予感というのはありました。でも、アイスショーに出たいといった大きな夢と同じではなかったです。トップスケーターのコーチをすることになったときは、大変なことになってしまったと思いました。プロ生活が思うようにこれからはできないんだろうなと思いながらも、「いいよ!」と言ってしまったので。良いチャンスがめぐってきたというのはあったんですが、やっぱり年齢的なものでいつまでもパフォーマーとして滑れるわけではないです。どこかでトランジションしなければいけないという時期に来ていたときに、良いお話がきたので、そこで何かのお知らせかなと思ったので、「イエス」と言わせていただきました。

――ご自分自身の現役時代と比べ、近年のフィギュア界の現状を指導者としてどのように感じていますか?

 いまの選手たちがやっていることを見ると、私が滑っていた時代よりも、振り付けのことやトレーニングのこと、メンタル面のことなどの情報量が多く、様々な分野における知識や専門家に教えを請う経済的な面も豊かになっていますね。私の選手時代はそのような環境がありませんでした。ただ、私は日本から飛び出してカナダ(留学)に行くことができたので幸せでしたが、いまの選手のようにもっと専門家の先生方に教えてもらえたらよかったし、もっと違う選手になれたなと思うことはありますので少し羨ましいです。
 20年以上前といまとの時代の変化は痛感してます。採点システムがまったく違っており、ジャンプなどの技術的な難度が難しくなっていること以外にも、スピンやステップでも体力を必要とする時代です。技術をこなしながら滑りきれる体力がないと生き残っていけなくなっていることからも、昔とは違ったスポーツになっていますね。コンポーネンツ(演技構成点)でもスケーターとしての表現要素を伝えていかなければいけなくなり、それが出来る選手たちの評価が高くなってきました。

 ただし、いままでと変わらない面を挙げますと、ここまで細かく採点されるようになったとは言え、結局は人が採点するスポーツなので2回も3回も転倒した選手にコンポーネンツで9点台が出るのはどうしても理解できないし、ちゃんとやった選手にとってはちょっとがっかりさせるシステムというか、そういう採点方法でもあります。そこだけは昔と変わらない。それを指導者として、選手をどれだけ元気づけて受け入れていくことがいままでと変わらないチャレンジですね。

 それでも、全体では世界的にレベルが上がってきているので、トップレベルで争っている選手たちはそれだけ優れているということが言え、見甲斐のあるスポーツになったなと思います。いまのフィギュアスケートは本当に要求されることが多く、体力も必要になっているので追い込んでいかなければいけませんが、私の立場としては選手にケガをさせないことが第一で、いかに健康管理をするかがいま、一番難しいところです。

様々な経験「そろそろ日本のフィギュア界に貢献していけたら」

スケートとともに歩む佐藤有香。誇りを胸に、新シーズンへ臨む 【IMG】

――キャリアトランジションできちんと選択して来られたと思いますか? 今後の夢は?

 そうですね。フィギュアスケートのプロ生活の中でもいろんなカテゴリーがあって、解説者であり、パフォーマーであり、コーチであり、いろいろあります。別にリタイアをしなければいけないという決まりはなく、ある程度の自分の中での節目はありますが、それはけじめをつけて次に向かうときの節目であって、そこから何か発展していくと思います。今シーズンは世界女王になって20周年、プロ生活が始まってから20年の節目を迎えます。もう一つは今シーズンでジェレミーのコーチを始めてから5年目なんですね。そしてこの五輪シーズンを一応、ジェレミーも節目と考えているので、そういった意味でも今シーズンは節目となります。

 ソチ五輪後の来年、どうしていこうかということは頭の中にちらついています。私も今年40歳になったんですけど、まだ40歳。この5年間は指導者として素晴らしい経験をさせてもらってコーチを続けていきたいと思っていますが、自分が一番解放される場所は氷の上なので、これまでのパフォーマーとしてアーティストとして投資してきたいろいろな経験をもっともっと発展させて、まだ滑ることができるいまの自分を表現していきたいと思っていますね。
 最近は振り付けをする機会が多くて、個人的なプログラムの振り付けや、アイスショーのグループナンバーを振り付けることもあり、ショープロデュースに興味もあります。それをやっているときに生きがいを感じるので、そういった意味でもっともっとフィギュアスケートに深く携わっていければいいかなと思っています。どのビジネスでも同じですが、その時代、その時期によって、いろいろと変わっていくわけですから、これと決め付けないで流れにそって何か良いタイミングで自分が投資してきたことが生かせたらいいなと思っていることは確かです。この20年間に自分が経験したことは、本当にまれなユニークなものだと思うんですよね。こんなにいろんな形でいろんな場所でいろんな経験ができたことを、そろそろ日本のフィギュア界に貢献していけたらいいなと言う気持ちはすごくあります。

 私のロールモデルでもあるドロシー・ハミルさん(1976年インスブルック五輪女子シングル金メダリスト)は57歳のいまも美味しいワインのような熟成した滑りで輝いているところを見せてくれるので、私も「フィギュアスケート記念物」になれるようにできるだけ長く滑っていきたいですね(笑)。アイスショーをプロデュースしたり、これまでの経験を他の人とシェアできるように対談したり、自叙伝を出版したり、これまでの経験を多くの人に伝えていく夢を持っています。そのいくつかでも実現すればいいです。

――最後に、名伯楽の佐藤信夫コーチと母久美子コーチと同じ指導者になり、ご両親の存在は?

 (同じステージにいることは)良い意味で何とも言えない心境です。本当にこれだけ何十年もコーチ経験のある父母がそばにいてくれるし、いつでも相談できる2人がいる。でも結局、父は自分でやりなさいと教えてくれないんですけど、でも、心の支えにはなります。私としては自分も同じ場所に立てるところまできたんだという何かこう、子供みたいなんですけど、「どう!」と威張れるというか誇りに思える気持ちは嘘(うそ)ではないですね。一緒にいるだけで、口では説明できないですが、いろんなことを肌で感じるので良い勉強になっています。

<了>

佐藤有香プロフィール

佐藤有香コーチ 【IMG】

1973年2月14日生まれの40歳。東京都出身。2歳半からスケートを始め、10歳頃から父の佐藤信夫氏の手ほどきを受ける。1994年の世界選手権女子シングルで優勝し、日本人として伊藤みどりに次ぐ2人目の世界女王になる。同年プロ転向。現在はプロフィギュアスケーター、フィギュアスケートコーチ兼振付師。父の信夫氏も母の久美子氏も五輪代表選手のフィギュア一家。90年の世界ジュニア選手権を日本人として初制覇。92年アルベールビル五輪7位。94年リレハンメル五輪5位。現在の活動拠点は米国のデトロイトスケートクラブ。

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著者プロフィール

 東京生まれの横浜育ち。1991年大学卒業後、東京新聞運動部に所属。スポーツ記者として取材活動を始める。テニス、フィギュアスケート、サッカーなどのオリンピック種目からニュースポーツまで幅広く取材。大学時代は初心者ながら体育会テニス部でプレー。2000年秋から1年間、韓国に語学留学。帰国後、フリーランス記者として活動の場を開拓中も、営業力がいまひとつ? 韓国語を使う仕事も始めようと思案の今日この頃。各競技の世界選手権、アジア大会など海外にも足を運ぶ。

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