存続の危機を乗り越えた前年覇者=横浜ビー・コルセアーズの新たな船出

柴田愛子

移籍か残留か、選手の決断

横浜残留を決めた蒲谷正之。その理由はブースターの存在が大きい 【(C)AFLO SPORTS/bj-league】

「ブースターミーティングでチームの状況などを聞いて、選手たちはそんな苦しい中がんばって、優勝してくれたんだと思うと、今まで以上に選手が好きになった」とあるブースターは話す。「その反面チームの厳しい現状を知っただけに来シーズン、選手がどこまでチームに残ってくれるのか不安だった」と言う。しかし、ほとんどの日本人選手は横浜ビー・コルセアーズへの残留を決めた。チームに留まり、横浜の再出発をともに歩んでいこうと決めたのだ。

 その中でも特に、優勝とともにプレイオフMVPに輝いた蒲谷正之には多くのチームからオファーが届いていた。昨季はキャリアハイの成績を残しただけに、提示されたオファーの内容は魅力あるものだったに違いない。対して横浜は資金面で厳しい状況であり、彼のキャリアに見合う金額の提示は出来なかったという。

「他チームに比べれば相当厳しい内容だったと思います」と植田氏。

 しかし、蒲谷は横浜に残ることを決断した。

「バスケットボール人生の中で一番の成績を残せていたので、本当に高い評価をしてくださって、いろんなところからお声をかけていただきました。そのことは素直にうれしかったです。でもやっぱり地元のチームでプレイしたいという思いも強かったし、プレイヤーとして骨をうずめる覚悟でこのチームに入った、そこを忘れてはいけないなとも思いました」と複雑な胸の内を明かしてくれた。

 蒲谷は残留を決断するにあたって、普段はあまり相談しない兄にも相談したという。兄から言われた「あんなに熱心に応援してくれるブースターは何百万・何千万の価値がある。そんなブースターをまた一から作っていけるのか」という言葉に、自分の中でストンと納得できるものがあった。やはり自分は横浜に残ってチーム再生に力を尽くそう。そう決断したのだ。

 また今回選手を引退し、アシスタントコーチに就任した青木勇人氏もチームの再出発に意欲を燃やす。実は当初、青木氏は現役続行を希望していた。「今季もまだまだ選手としてやりたいと思っていました。しかし契約交渉の際に、チームが新しく生まれ変わるときにコーチとして力を貸してくれないかというオファーを頂きました」。

 もしフロントが以前のままだったら、間違いなく選手としての続行を選んでいたと言う青木氏。

「チームが新しいスタートを切るときに自分も新しい挑戦が出来るのが、一番いい区切りなんじゃないかと思い、今回アシスタントコーチを受けさせていただいた」

 チームの再出発を共に支えていきたいという思いが現役を退く決断につながった。植田氏は選手との契約交渉を終えて、「もっともっとチームのために頑張りたい」とさらに前向きな気持ちになったという。

「ブースターの皆様のチームに対する熱い気持ちや、あたたかい愛情を肌で感じ、その愛情を受けて闘う事を決意してくれた選手の覚悟を思うと、ファイトが湧いてきます」

荒波が待ち受ける厳しい航海

「優勝した去年も決して楽なシーズンではなかった。課題が山積みの状態からスタートしたので、それを考えると今季も厳しい状況からのスタートという面では、そんなに変わらないと思います。正直不安な気持ちもありますが、そんな中で自分たちしか作れないチームを作り上げていければと思っています」

そう力強く答えてくれた蒲谷。

 横浜ビー・コルセアーズの開幕戦は今週末の10月12日(土)・13日(日)、スカイアリーナ座間で行われる。彼らの前に広がる海原は決して穏やかなものではない。しかし、彼らにはチームを見守り支えてくれるブースターという大きな帆がついている。荒波をともに乗り越えることで、さらに地域に根差したチームへと成長していくことを期待したい。

<了>

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