女子カーリング、熱い熱い日本代表決定戦=敗れた中部電力の挑戦、勝った道銀の底力

高野祐太

五輪最終予選の代表権を逃し、涙を浮かべる市川(左から2人目)、藤澤(同1人目)ら中部電力メンバー 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 9月12日から17日まで札幌市のどうぎんカーリングスタジアムでカーリングの日本代表決定戦が行われた。2002年ソルトレーク、06年トリノ両五輪に連続出場した小笠原(旧姓・小野寺)歩と船山(同・林)弓枝を擁する北海道銀行フォルティウス(以下、道銀)が日本選手権3連覇中の中部電力を通算4勝2敗で破って、ソチ五輪世界最終予選(12月11日〜15日、ドイツ・フュッセン)への出場権を獲得。道銀は、ドイツ、中国、ノルウェーなど合計で7カ国が出場する同予選で、ソチ五輪の残り2つの出場枠を懸けて争う。

若き女王・中部電力と北海道銀行の決戦

 この3年間、日本代表であり続け、国内をリードして来た若き女王の中部電力が負けた。
 エンジンの掛かりがいつもより遅いなという印象は、「最後には地力を出して追い上げて来るはず」という妥当な予想にいつしか疑問符を点灯させ、気が付けばソチ五輪への道が絶たれてしまっていた。サードの市川美余主将は敗戦決定直後に旧知の仲という小笠原の元に向かい、笑顔で抱き合って「私たちの分まで頑張って」と祝福したものの、24歳の瞳からはすぐに悔し涙があふれ出した。スキップの藤沢五月も、リードの清水絵美もセカンドの松村千秋もしかり。その姿はあまりに痛々しかった。

 昨年11月のパシフィック・アジア選手権(PACC)で2位に入って今年3月の世界選手権に出場。ソチ一発出場とはならない7位だったが世界最終予選の出場権を確保し、五輪への夢をつないだのはほかならぬ中部電力だった。前回の10年バンクーバー五輪以降、環太平洋地区で中国と韓国が勢力を拡大する中、この2カ国に必至に食らい付いて来た。PACCを2位通過した結果自体が大きな仕事だった。
「だから私たちがソチに行く」。挑戦権をほかのチームに渡すつもりなどさらさらない強い意欲で臨んだ今大会だったから、現実を受け入れるのにどれだけの時間を要することだろうか。敗戦後の会見で、カメラの前に立った藤沢と市川は大粒の涙で両目を腫らした。市川は嗚咽(おえつ)とともにこう語った。
「まだ若くて実力が足りなかったのが敗因です。ソチに向けてはここが限界だったと痛感しています。大会中は何度も自信をなくして、お互いに何度も話し合いました。最後の最後で世界に挑戦することもできずに終わってしまって、応援してくれた皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。今後のことは(今秋の)カナダ遠征後に考えます」

 若さ、そして、チャンピオン故の追われる立場が中部電力を追い詰めていた。小笠原は「彼女たちは私たち以上に相当なプレッシャーで臨んでいたはず」と、その気持ちをおもんぱかった。
 本来の力を取り戻しそうな場面は何度もあった。予選最後の道銀戦では、スキップの藤沢五月がレイズ(前にあるストーンを玉突き)して、込み入ったハウス中心から相手のストーンだけをダブルテイクアウト(敵のストーンを2つ同時にアウトにするプレー)するというスーパーショットも決めて快勝。一気にリズムを取り戻すかに見えたが、結果的には勝ち切ることができなかった。

中部電力が持ち込んだ世界の潮流

前回五輪後の女子カーリングを引っ張った若き女王・中部電力。道銀と熱い代表決定戦を戦った 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 しかしながら、中部電力の5年間の奮闘が色あせることはない。その理由は、世界の潮流にいち早く対応し、日本国内に攻撃的な戦術スタイルを持ち込んだという価値があることだ。世界の女子カーリング界では、バンクーバー五輪の少し前から男子のような攻撃的な戦術が浸透し始めていた。ストーンを多く残すハイリスクハイリターンの展開で、高難度のショットをピタリと決める。微妙なウエート(スピード)と角度の調整が必要な、フリーズ(置かれたストーンにくっつける)やヒット・アンド・ロール(置かれたストーンを壁にして方向を変える)やレイズによるテイクアウトなどを重要な場面で駆使し、主導権を奪い取る。それには強いフィジカルを備えたスイープ(ストーンをブラシで掃く)が欠かせない――バンクーバー五輪は、そういう新時代の女子カーリングでの大会だった。

 中部電力はそこに着目し、ソチ五輪切符を絶対に取りに行くという覚悟の下で結成されたチームだった。結成最初のシーズンに初出場した10年3月の日本選手権でいきなり3位に入る。そのとき印象に残ったのは、表彰台という結果以上に、その攻撃的スタイルだった。ドローショット(盤面にとどまるほどの弱いウエートのショット)で大量得点を狙う選択にトライしていた。世界を目指すという明確な意思表示だった。昨季には男子並みのパワーと戦術を意味する“マンリー・カーリング”というキャッチフレーズも掲げるまでに成長していた。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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