本田らの言葉から探る新旧FW陣の違い=守備崩壊の中で焦点を当てる本来のテーマ

元川悦子

コンフェデ杯の再現に落胆した選手たち

期待された柿谷(左)と本田(右)の融合だが、本人たちも認めるように準備期間の短さから納得のいく結果は得られなかった 【写真:アフロ】

 前半のディエゴ・フォルラン(インテルナシオナル)の2発に、ルイス・スアレス(リバプール)、アルバロ・ゴンサレス(ラツィオ)に大量4失点を喫した14日のウルグアイ戦(宮城スタジアム)。3試合9失点で3戦全敗を喫した6月のコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)の再現を見ているような戦いぶりに、アルベルト・ザッケローニ監督も選手たちも落胆の色を隠せなかった。

「ピンチが失点につながるっていうのは今に始まったことじゃない。コンフェデ杯のときもそうやった。攻撃陣はそこをとやかく言うより、3点4点取れなかったことを反省した方がチームはいい方向に行くんじゃないかと僕は思ってます。麻也(吉田)や今ちゃん(今野泰幸)にしても責任感が強いし、反省してると思う。ただ、今の自分たちの実力をしっかりと受け止めないといけない」と本田圭佑は守備陣をかばいつつも、強豪との実力差を改めて痛感している様子だった。

 2−4の大敗を受け、試合の焦点は守備崩壊の方にいってしまった。確かにこれは今のザックジャパンにとって極めて深刻な課題と言える。2014年ブラジルワールドカップで上位躍進を本気で狙うなら、すぐにでも解決策を模索しなければならない。引いて守るつもりはないと多くの選手たちが口にするものの、状況や時間帯によって戦術を変えるような柔軟性があってもいいはずだ。

常連と新戦力の融合への期待

 ただ、今回の試合でもともとメーンテーマに据えられていたのは、常連組と7月の東アジアカップ(韓国)で頭角を現した新戦力の融合だった。とりわけ、前田遼一、ハーフナー・マイクに代わって1トップ候補に抜てきされた柿谷曜一朗、豊田陽平への注目度は高かった。ザック監督も12日の宮城合宿初日から柿谷を主力組に抜てきするほどの大きな期待を示した。その柿谷がスタメン入りしたことで、新たな攻撃陣がどこまで機能するか大いに気になるところだった。
「柿谷君は足元の技術がしっかりしているし、動き出しも非常にいいものを持っている。それを生かすも殺すも自分たち次第。チャンスを見逃さないようにしたい」とパス出し役の遠藤保仁が言えば、キャプテン・長谷部誠も「曜一朗は裏に抜けたり、走らせるような場面が特徴なんで、そういうところを生かせるといい」とコメント。可能な限りサポートしたいと意欲を見せていた。

 彼らボランチ陣はもちろんのこと、岡崎慎司、本田、香川真司といったスキルとゴールへの意識の高い2列目とも良好な関係を構築しなければならない。柿谷は周りにスペースを作ってあげるような黒子の動きをまずは大事にしようと考えていた。
「中盤はボールを持てる選手が多いので、僕は思い切ってオフ・ザ・ボールのところで勝負できる。最後のパスコースを作ってあげるような動きを考えたい。特に圭佑君はシュートをどんどん打つと思うんで、タッチが極力左に行くようにって意識はありますね。セレッソ(大阪)でもエジノがそうやから、同じイメージでできたらいい」と自分なりにイメージを膨らませてゲームに入ったという。

輝きを見せるも無得点に終わった柿谷の64分

 開始3分に柿谷が左に開いて岡崎の中央への飛び出しをお膳立てしたように「周りを生かそう」という意識は序盤から如実に出ていた。ただ、そうなると必然的にボールタッチは少なくなる。実際、彼がボールに触った回数はC大阪のときに比べると極端に少なかった。本人はそのマイナス面を認識したうえで「その後の動き出し次第ではパスも出てくる」と割り切り、周りの動きに合わせて動くことを心掛けた。

 こうした流れの中から前半14分、柿谷は本田のスルーパスに反応。反転しながらペナルティーエリア内でボールを受ける絶好の形が生まれる。トラップした位置が低すぎて直接シュートには持ち込めなかったが、高い技術と鋭い身のこなしは見る者の目を引いた。

 柿谷が絡んだ一番のビッグチャンスは33分、中盤に下がりながらの激しい守備でワルテ・ガルガノ(ナポリ)からボールを奪い、岡崎に預けて一気にゴール前へ飛び出した場面だ。前を向いたときの彼はやはり輝きが違う。リターンパスをもらって決定的なチャンスを迎えた。しかし、「トラップが前にいき過ぎた。真司君が逆サイドに見えたんで、トラップしてムリせずポーンと蹴ろうと思ったら、GKが寄せてきたので、とりあえずかわしてからと思ったんですけど……」と肝心なシュートを決めきれずじまい。「曜一朗が代表レギュラーに定着するためには今、見せているフィニッシュのレベルの高さを維持すること」とC大阪のレヴィー・クルピ監督から言われていただけに、本人もガッカリしただろう。

 後半に入ってからも、何度かいいタイミングで動き出したが、ボールが出てこない。「自分がほしいとき、いつもなら裏に抜けた瞬間にもらえたのに……。ボランチとか他の選手と目が合っているのにね。僕ももっと要求しないといけなかった。自分の中で戸惑いがあったし、迷いながらやってた部分もありました」と反省の弁を口にした彼は、64分間でベンチに下がることになった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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