本田らの言葉から探る新旧FW陣の違い=守備崩壊の中で焦点を当てる本来のテーマ

元川悦子

遠藤らも初戦の出来をフォロー

遠藤は、新FW陣の2人について可能な限りサポートしたいと意欲を見せていた。しかし、結果としてサポートしきれなかったことを悔やんだ 【写真:アフロスポーツ】

 本田ら主力組に合わせようと意識が強すぎて、この日の柿谷からはJリーグや東アジアカップのときのような思い切りのよさがあまり出ていなかった。ウルグアイの屈強なセンターバックであるディエゴ・ルガノとディエゴ・ゴディンが統率する守備陣がスペースを与えてくれず、背後に飛び出せなかったのも苦しいところだった。
「柿谷君は前を向かせたら怖い選手だから、極力そういう形を作りたかったけど、なかなかボールが入らなかった。そういうとき、あまり下がってこずに我慢強く前で一発を狙ったりとか、ときにはサイドに流れてもいいので少しずつ形を作っていければいい」と遠藤もサポートしきれなかったことを悔やんだ。

 柿谷が裏に飛び出せれば、日本の得点確率は上がる。それはウルグアイ戦を見てもハッキリした。ただ、世界レベルの相手だとそういう単純な決定機はそうそう訪れない。そのとき、彼が何をすべきかという新たな問題点が浮上したのは事実だ。遠藤が指摘した通り、前線で粘ってクサビを受けたり、外に流れてリズムを変えるといった工夫がより求められるのは間違いない。柿谷自身、最重要項目に位置付ける守備に関しても、質量ともに高めなければならないだろう。岡崎のように強引にボールを奪いに行って、初めて「守りで貢献した」と評価されるようになるのだ。

 10年秋のチーム発足時からザックジャパンで戦ってきた前田は黒子の仕事に長けている。得点の鋭さでは柿谷に分があるが、やはり代表ではあらゆる役割をソツなくこなした上で、最大の武器であるフィニッシュ力を安定的に出すことが必要だ。

 それでも本田が「初めてにしては非常に順応してた。曜一朗本人はもっとやれると思ってるだろうし、Jリーグで発揮してる能力は出しきれなかったけど、それはあまりにも準備期間が短いから。俺がデビューしたときのことを考えると非常に順応するのが速かった。最近の若い選手の方が能力が高まってると感じます」とフォローしたように、フルメンバーと組んだ初戦としては悪くなかった。「もっとみんなと練習する時間がほしい」と柿谷も切実な訴えを口にしたが、新戦力にはそれほどの余裕はない。ウルグアイ戦1試合のパフォーマンスをどれだけ次への糧にしていけるかが極めて重要といえる。

豊田は不完全燃焼

 一方の豊田は、後半19分からロスタイムを含めて約30分間プレーした。すでに4−1でリードするウルグアイが次々と選手交代を試み、ゲームの緊張感が緩みかけていた状況というやりにくさもあっただろうが、彼は持ち前の守備の献身性や体を張った競り合いなどで見せ場を作ろうとした。

 後半24分には遠藤が左に流れてクロスを入れたところに岡崎とともに競りに行く。「豊田君は体が強いし、キープ力もあるので、前で起点が作れる。よりゴールに近いところでプレーさせてあげられればいい」と語っていた遠藤の配慮を懸命に生かそうとした。

 こうしたチャレンジによって、前線の迫力は多少なりとも増したように感じられたが、最終的にシュート数はゼロ。「今までの既存のメンバーのパス交換が多くなってしまった。ずっと出て信頼感を得ない限り、自分がピッチに入っても(パスを)出しにくいのかなと思う。信頼感を得ていかないといけないと強く感じた。僕の強さもまだまだ浸透していない。東アジアカップのときはJリーグの選手だけだったのである程度、分かってもらえていたけど、今回は海外組が中心だったのでまだ良さを生かしてもらえていない。何とかそこを変えていきたい」と本人も不完全燃焼感を吐露した。

 豊田は北京五輪代表で本田や香川、岡崎とともにプレーしている分、連携面ではスムーズに入れるのではないかと見られていたが、5年という歳月を埋めるのは想像以上に大変なようだ。柿谷同様、限られた時間しか与えられていない彼がその高いハードルを超えるのは至難の技だが、現時点で戦力になり得るか否かを判断するのは早すぎる。少なくとも9月のグアテマラ(6日=大阪・長居)、ガーナ(10日=横浜・日産)は招集し、さらに実戦を積ませてからでも遅くないだろう。

 いずれにせよ、最終予選で1トップを担っていた前田とハーフナーの2人を頼っているだけでは、ザックジャパンの攻撃陣を大胆に活性化させるのは難しい。長所の一端を出した柿谷、豊田を加えながら競争を促していくことはやはり大事だ。彼らにはクラブで高いレベルの仕事を維持していくことが求められるし、他のメンバーも彼らを生かすイメージを高めていく努力を続けてもらいたい。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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