ドジャースタジアムから野茂英雄へ――ヒーローに贈られた熱い声援と喝采

山脇明子

「NOMO!」

ドジャースタジアムで始球式を行った野茂英雄氏。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた 【写真:AP/アフロ】

 日本人ファンの姿が目立つと思っていた。
 だが、実際にはそうではなかった。

 8月10日(現地時間)、日本の野球選手にメジャーへの扉を開いた野茂英雄氏が、ドジャースタジアムで始球式を行った。先着5万人には同氏の首振り人形もプレゼントされた。
 その記念すべき日に、多くの日本人ファンが足を運ぶと思った。野茂氏が登板するたびにスタンドのあちらこちらで日本人の姿が見られたように――。

 だが実際には、多くの地元ファンがドジャースタジアムに詰め掛け、野茂氏に熱い声援を送った。
 野茂氏がグラウンドに出てくるとスタンドから「NOMO!」という声と拍手が大きく響き渡った。球場のスクリーンに活躍をたたえる映像が流れた後、場内アナウンスで紹介された野茂氏は、腕を高々と挙げてファンに応えた。ドジャースタジアムでの野茂氏のテーマソング「上を向いて歩こう」が流れる中、マウンドへ。トレードマークだった“トルネード投法”でボールを投げ込むと、立ち上がったファンは一層大きな歓声を挙げた。

 そこにいたのは、“日本人が誇る野茂”だけではなかった。ロサンゼルスで生まれたメジャーリーガー。つまり“ロサンゼルスが誇る野茂”がいたのだ。ドジャースタジアムを埋め尽くしたファンは、チーム史に残るかつてのヒーローに惜しみない拍手喝采を浴びせた。

マウンドを降りて5年 “The tornado”再び

ラソーダ元監督(左)、チームメートで主砲だったキャロス(右)と談笑する野茂 【写真:AP/アフロ】

 1995年に近鉄から米大リーグのドジャースに入団した。1年目から13勝を挙げて同シーズンの新人王を得ると、翌年とレッドソックスに所属していた01年にノーヒット・ノーランを達成。ア・ナ両リーグで同快挙を成し遂げた、メジャー史上4人目の投手となった。ルーキー時と2001年には各リーグの最多奪三振も記録した。
 大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独自の投法は“The tornado(竜巻)”と呼ばれ、そこからバシバシ三振を奪う勇敢な姿が人気を呼び、米国で“野茂旋風”が巻き起こった。

 劇的なデビューから18年が経った。
 始球式を前に記者会見場に現れた野茂氏は「グラウンド(現役時)の方が緊張しなくて良かった。今日は少し緊張しています」と話した。現役時は数々の大舞台に立ってきた大物投手。それほどの選手の「緊張」という言葉に「なぜか?」という質問が向けられると「分からないです」と苦笑いを浮かべた。

 少年野球の日本選抜チームを連れて毎年夏にロサンゼルスを訪れる野茂氏だが、ドジャースタジアムは5年ぶりだという。自分が連れてきた少年たちにはドジャースの練習を間近で見られる機会を与える。しかし、自らが少年と一緒にグラウンドに現れることはない。
 それだけに今回の始球式の要請を受けた時は「どうしようかと思った」と言う。しかし「こういうことができるのも最初にスタッフの人たちが、自分がパフォーマンスをやりやすいように環境を作ってくれたおかげ」。当時のオーナー、ピーター・オマリー氏やトミー・ラソーダ元監督らへの感謝の気持ちから受け入れることにした。

 野茂氏がメジャーに足を踏み入れてから、数々の名選手が海を渡り、ヤンキースのイチロー選手や黒田博樹投手、レンジャーズのダルビッシュ有投手ら米大リーグの歴史に名選手として名を刻むレベルの選手も出てきた。
 それに伴い、自らの記録が塗り替えられる時代もやってきた。しかし野茂氏は「僕の成績はそんな大したことないですし、ダルビッシュだと僕よりも全然レベルの高いピッチングをしている。野球は実力社会ですしそれはしょうがないです」。そう言った後、「しょうがないというより、楽しみに見ています」と言い直した。

 自らがメジャーのマウンドから降りて5年が経った。久しぶりに16番のユニホームに腕を通した感想を聞かれ、しばらく間を置いた後にポツリと言った。
「もう一度選手としてやりたい感じがします」

サイ・ヤング賞投手が語る ある日の光景

 野茂氏の始球式を終えて、ドジャースタジアムのマウンドに立ったのはザック・グリンキー。レイズ相手に6回3分の1を6安打無失点の好投でドジャースに勝利をもたらし、自らも今季10勝目(3敗)をマークした。
 そのグリンキーは野茂氏のメジャーキャリア最後となる2008年に、ロイヤルズでわずかな期間をともに過ごした。

 2009年のサイ・ヤング賞投手(ア・リーグ)はその時の思い出をこう語る。

「彼は40歳近い年齢だったのに、2時間にわたる打撃練習でもずっと球拾いをしていた。球拾いをやめて中に入ってはどうかと声を掛けても他の選手と一緒にずっと球拾いをしていた。彼がキャリアでどれだけのことを成し遂げてきたかは誰もが知っていたけれど、彼は決してそれを鼻にかけるようなことはしなかった。ああいう一面を僕も見習いたいと思った」

 多くの日本人選手が野茂氏を追い掛けてきた。
 しかし、同氏がメジャーに所属した12年の間に、日本人選手だけでなく多くのメジャーリーガーが、彼の背中を見て育ってきた。
 だから、「NOMO」は日本人ファンだけの思い出の選手ではないのだ。

 野茂英雄は、日本の野球だけでなくメジャーリーグという世界に大きなインパクトを与えた。
 それゆえに、日本人ファンだけではない多くの人々が、ドジャースタジアムに集まった。そう、彼の功績を称えるために。

<了>
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著者プロフィール

ロサンゼルス在住。同志社女子大学在学中、同志社大学野球部マネージャー、関西学生野球連盟委員を務める。卒業後フリーアナウンサーとしてABCラジオの「甲子園ハイライト」キャスター、テレビ大阪でサッカー天皇杯のレポーター、奈良ケーブルテレビでバスケットの中体連と高体連の実況などを勤め、1995年に渡米。現在は通信社の通信員としてMLB、NBAを中心に取材をしている。ロサンゼルスで日本語講師、マナー講師、アナウンサー養成講師も務めている。

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