これぞ“高校野球の名勝負”=仙台育英×浦和学院の死闘

楊順行

最大のドラマは8回だった

 見応えたっぷりのドラマは8回だ。初回だけで53球を投げ、7回終了時点ですでに150球を投げていた小島が、無死満塁のピンチを招く。迎えるのは上林。浦和にとっては、絶体絶命のピンチだ。もともと上林は、埼玉の出身。「でも今日は、宮城県人のつもりです」とは言っていたが、浦和シニアに所属していた中学時代は、高校野球を見学に行くたび、浦和学院の名物応援『浦学サンバ』に心地よく聞き入っていた。対する、小島。「初回の6点も、この回の満塁も、自分で招いたピンチ。なんとか最後まで投げ抜きたい」という気持ちだけで、全球ストレート勝負を挑んだ。あるいは、変化球を投げられないほどの変調があったかもしれない。ただ、

「左方向を狙っていたけど、目線が合いませんでした。中盤以降は球威が落ちていましたが、予想以上のボールがきて対応できなかった」

 という上林を空振り三振に斬って取ると、続く水間俊樹、小林遼もいずれもストレートのみで三振。浦和学院は、最大のピンチを切り抜けた……ように見えた。

 ナイトゲームになりながら、ドラマの結末を見届けようという観衆は、ほとんど席を立っていない。そして、9回。投球数が180に達しようとした小島に異変があった。一死から、八番・加藤尚也に初球を投げたところで左足がけいれん。おそらく熱中症によるものだ。治療してふたたび登板したものの、小野寺に左前打を許し、山口にスイッチしたところで話は冒頭に戻る。仙台育英、サヨナラで2回戦進出――。

辛口でいうなら名勝負というには物足りない、だが……

「とにかく、必死に投げただけ」と涙をこらえる小島のわきで、春夏連覇の夢が途絶えた浦和学院・森士監督は振り返った。
「5点差を追いついたところは、選手たちのエネルギーのすごさを感じましたが、継投を延ばしたのは私の責任です。ただ、できるなら最後まで小島で終わりたかった」

 辛口でいうなら、名勝負というには四死球やミスからの失点の多さがやや物足りない。だがここで私事ながら、試合終了後に家人から届いたメールをそのまま引用する。

『試合が終わって号泣の小島くんに監督さんが「来年もある」って。更にカメラに囲まれる中、監督さんは「うなだれるな」って表情を変えずに何度も小声で言ってました。グラウンドを出るときはてをつないでお父さんと息子みたいでした』

 4万2000の大観衆、そしてテレビで観戦した多くの高校野球ファンが、この勝負を堪能したはずだ。 

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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