色あせることのないデル・ピエロの魅力=再び日本の地に降り立つファンタジスタ
紛れもないスーパースターのデル・ピエロ
サガン鳥栖との親善試合のために、再び日本を訪れるデル・ピエロ。真のスーパースターは一体どんなプレーを見せるのか 【(C)Edge S.r.l】
圧倒的な存在感を放つ。
誰にもまねのできないプレーをする。
他者との違いを見せつける。
観衆を魅了する。
試合を決定付ける仕事をする──。
想定される答えをまとめると、ひとつの共通項が浮かび上がる。ピッチ上を自分の色に染め上げることのできる選手に、スーパースターの称号は与えられるのだ。
母国・イタリアで「アレックス」の愛称とともに親しまれ、現在プレーするオーストラリアでは頭文字を並べて「ADP」とも呼ばれるアレッサンドロ・デル・ピエロは、紛れもないスーパースターである。彼がボールを持つと、相手選手はもちろんスタジアム全体が固唾(かたず)をのむ。この男の創造性と即興性は、対峙(たいじ)するDFと観衆の予想をいつだって上回るのだ。
チームに忠を尽くすファンタジスタ
19シーズンに渡りイタリアの名門ユベントスでプレー。チームへの忠誠心もデル・ピエロの魅力のひとつだ 【写真提供:Uniphoto Press】
データでは語り尽くせない魅力もある。
若きデル・ピエロがイタリアの表舞台に登場したのは、1993−94シーズンである。世界のサッカー界では芸術家肌のプレーヤーがもてはやされ、監督たちは特筆すべき才能をどうやって生かすかに頭を凝らしていた。「ファンタジスタ」と呼ばれるデル・ピエロも、ユベントスのエースとして君臨していく。
ところが、21世紀の幕開けとともに世界のサッカー界は新たな方向性を見いだす。戦術的な色彩が強まっていったのだ。特定の個人に依存することなく、組織全体のクオリティーを高めることで勝利を目指す戦い方が、一般化していくのである。「ファンタジスタ」にもチームのひとりとしての仕事が求められ、守備でも貢献しなければならなくなった。時代の要求にこたえられない芸術家は、オールドファッションとの評価を突きつけられ、やがて第一線から退いていった。
だが、デル・ピエロは違った。
ゴールに絡む仕事を本領としてきた男は、チームメートを助けることにも骨身を惜しまないのである。彼のユニホームが汚れるのは、相手DFに倒されるからだけでなく、スライディングやタックルなどを厭(いと)わないからでもあった。
だからといって、時代に迎合したわけではない。攻撃面での輝きは、キャリアを重ねるごとに増していった。30歳を過ぎてもセリエAで2ケタ得点をマークし、アズーリでは34歳までプレーした。レギュラーではなくスーパーサブとして起用されても、不平ひとつ漏らすことなくチームに尽くした。
彼のキャリアをまぶしく見せるもうひとつの要因が、クラブへの忠誠心である。所属するユベントスが不正によってセリエBに降格した2006−07シーズンも、デル・ピエロはクラブにとどまった。いくつかのオファーを固辞し、チームのセリエA復帰に力を注いだのだ。世界的なスーパースターでありながら利己的な決断をせず、周囲を温かく包み込むような人間性は、フットボーラーとしてはもちろん人間としての魅力を際立たせている。