ブラジル代表を苦しめる国民からの重圧=コンフェデ杯通信2013(6月14日)

宇都宮徹壱

ナシオナル・スタジアムとガリンシャの記憶

ブラジリアでのコンフェデ杯開幕を控えて、スタッフも会場整備の準備に余念がない 【宇都宮徹壱】

 ブラジリアのスタジアム、ナシオナル・スタジアムの正式名称は「エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア」という。首都ブラジリアの国立競技場という位置づけで、収容人員は約7万人。リオデジャネイロのマラカナン(約7万3500人)に次いで、ワールドカップ(W杯)の会場としては2番目に大きい。上空から見るときれいな円形をしていて、屋根を支える円筒形の支柱がいくつも林立し、さながらギリシャの古代遺跡を想起させる。

 ちなみにこのナシオナル・スタジアム、改修される以前は「エスタジオ・マネ・ガリンシャ」という名称であった。ガリンシャというのは、ブラジルの伝説的なウインガーで、ペレの僚友として1958年(スウェーデン大会)、62年(チリ大会)、66年(イングランド大会)のW杯に出場、そのうち58年大会と62年大会の連覇の原動力となったことで知られる。小児まひの影響で、左右の足の長さが6センチも違っていたが、その独特のドリブルは、名手ニウトン・サントス(編注:元ブラジル代表のサイドバック。58年、62年のW杯にも出場し、ガリンシャらとともに連覇を果たした)でも止められないほど変幻自在であったという。

 もっとも、現役引退後のガリンシャの人生は、清々しいほど破滅的なものであった。道楽と浮気を繰り返し、朝っぱらから酒をあおる日々。せっかく仲間たちがチャリティーマッチを開催し、その資金でレストランをオープンさせるも、悪い仲間たちがタダ食いを繰り返したために、またたく間に経営悪化に陥って潰れてしまった。そして83年、肝硬変によって49歳の若さで死去。チームメートのペレが、引退後もサッカーの親善大使として今も華々しく活動していることを思うと、そのあまりのコントラストに唖然(あぜん)とさせられる。

 その一方で興味深いのが、結果として人生の落後者となってしまったガリンシャを、それでもブラジルの人々はずっと愛し続け、スタジアムの名前にまでしてしまったことである(ちなみにガリンシャはリオデジャネイロ郊外の出身で、リオを本拠とするボタフォゴで長くプレーしていたので、ブラジリアとはほとんど縁がない)。ブラジルはこれまで幾多のタレントやスーパースターを輩出してきたが、スタジアムに名前を残した選手はそれほど多くはない。すべてを調べ尽くしたわけではないが、ガリンシャは極めて異例であったと言って差し支えないだろう。

 それだけに、新装されたスタジアムから、ガリンシャの名前が消えてしまったことには、一抹の寂しさを禁じ得ない。むしろ、W杯のスタジアムにガリンシャの名が冠してあったほうが「さすがはサッカー王国ブラジル」と、世界中が納得するのではないかと思うのだが。

厳しい世論にさらされるブラジル代表

ナシオナル・スタジアムの記者席からピッチを見下ろす。きつい傾斜に思わず息を飲む 【宇都宮徹壱】

 ナシオナル・スタジアムでは、ブラジル代表の練習が公開されていた。記者席の最上階からピッチを見下ろすと、あまりの急な傾斜に思わず息を飲んでしまう。それでもピッチ上の選手たちの動きが手に取るように分かるのは素晴らしい。ちょうどこの時は、センターバックからビルドアップして、ボランチを経由しながらボールを左右に展開し、クロスボールから中央の3人がゴールを狙うパターン練習をしているのが確認できた。

 ふいに、どこからともなく歓声と指笛が聞こえてくる。とはいえ、もちろん試合前日なので観客はいない。いるのはメディア関係者とボランティアスタッフと警備員、そしてオレンジ色の服を来た作業員のみである。よくよく観察していると、選手のプレーに最も反応していたのが、この作業員たちであった。彼らはシュートが外れるたびに「それでもセレソンかよ!」と言わんばかりに指笛を鳴らす。ささいなシーンながら、ブラジルの厳しい世論を見る思いがした。

 そういえば、この直前に行われたブラジル代表監督、ルイス・フェリペ・スコラーリの会見もまた、記者からずい分と厳しい質問が浴びせられていて、何だか気の毒に思えてしまった。「ネイマールはサントスも含めて、9試合無得点だが?」「今のブラジル代表にはアイデンティティーがないという批判があることについてどう思うか」「ブラジル代表は、国内では尊敬されないのはなぜか?」などなど。対するスコラーリも「プレスが選手たちを攻撃し、プレッシャーを与えている」ことに、憤懣(ふんまん)やるかたない様子である。うわさには聞いていたが、これほどブラジル代表とメディアとの間に根深い対立があることを、この前日会見で初めて実感することができた。

 ブラジル国民が最も不満に感じているのが、現在のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングであろう。昨年6月の5位をピークに一気に下落し、現在はなんと22位。ランキングがスタートした93年以降、2012年の6月までずっと1桁順位を保っていたブラジルが、今ではガーナとマリの間に位置していることは、ブラジル国民にとって屈辱以外の何ものでもない。ちなみに初戦で対戦する日本は、現在32位。格下であることは間違いないだろうが、さりとて「100パーセント勝てる」とも言い切れないのが、今のブラジルの現状である。

 ブラジルは確かに、コンフェデレーションズカップの開催国ゆえにホームアドバンテージがあるし、この大会では2連覇している優勝候補の筆頭でもある。しかしながら、世論とメディアから厳しい追求を受け、今大会で最もプレッシャーを感じているのもまた、彼らである。そうして考えると、失うものがない日本にも一定以上のチャンスはあるのではないか。
「日本は質の高いチームだ。だからこそ彼らは、今この場にいる」――スコラーリのこの言葉を、われらが代表にはぜひピッチ上で証明してもらいたいものだ。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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