小橋建太「プロレスは青春でしたね」=“鉄人”が25年の現役生活に幕

構成:スポーツナビ

ムーンサルトで有終の美

引退試合の最後はムーンサルトで金丸から3カウントを奪った小橋 【t.SAKUMA/佐藤崇】

“鉄人”小橋建太の引退興行 「FINAL BURNING in Budokan 小橋建太引退記念試合」が 11日、東京・日本武道館で開催され、チケットは即日完売、立ち見までギッシリの超満員となる1万7000人を動員した。

 小橋は1987年に全日本プロレスに入門し、88年2月にデビュー。故・三沢光晴さん、川田利明、田上明との「四天王プロレス」で90年代後半のプロレス黄金時代を築き上げ、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座などを獲得した。00年には新団体プロレスリング・ノアに移籍し、03年月から約2年間に渡ってGHCヘビー級王座を13度防衛し、「絶対王者」の称号を得た。06年6月には腎臓ガンが発覚し、右腎臓を摘出しながらも、07年12月に546日ぶりの奇跡の復帰を果たした。その後もヒジ やヒザの故障に悩まされ、長期欠場と復帰を繰り返していたが、昨年7月に行った首の手術後のコンディションが思わしくなく、「これ以上、小橋建太のプロレスができない」との思いから、昨年12月にリングに別れを告げる決心をした。

 引退試合の前に行われたセレモニーでは、四天王の川田、田上や、闘魂三銃士の蝶野正洋らが来場。スタン・ハンセンさんや、ジョニー・エースことジョー・ローリナイデスもコメントを寄せた。
小橋自ら決定した引退試合では、小橋が過去にベストバウトを獲得した秋山準、 武藤敬司、佐々木健介と組んで、歴代の付き人であるKENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口組と対戦。「小橋建太の遺伝子を受け継ぐ」者として指名された4人に、小橋が26年間のプロレス人生の集大成を叩き込んだ。

 小橋は「GRAND SWORD」が流れる中、腰に「絶対王者」の象徴であったGHCヘビー級のベルトを巻いて入場し、いきなり現GHC王者であるKENTAと対峙。鉄仮面姿の谷口には健介とともにサンドイッチチョップを叩き込み、潮崎には若手時代の得意技であったローリングクレイドルを繰り出すと、KENTAにはハーフネルソンスープレックス。さすまたを持ち出してきた谷口には高速マシンガンチョップを連打し、ローリング袈裟斬りチョップを炸裂させた。四天王時代を彷彿とさせる、40分近くにも及ぶ熱戦を締めくくったのは、11年8月に武藤と共にベストバウトを獲得したムーンサルトプレスの競演。武藤のアシストを受け、青春の握り拳を握り締めてから金丸に月面水爆を見舞うと、最後の3カウントを聞いた。

 試合後、最愛の母・都さんと妻のみずき舞さんこと真由子夫人から労いを受けた小橋は「最高のプロレス人生でした」と、何のバックボーンも持たないまま、裸一貫で這い上がってきた自分を25年間応援し、支えてくれたファンに感謝。引退試合をしないままリングを去った恩師のジャイアント馬場さんと、兄貴分であった三沢光晴さんの分まで、ファンの思いを受け止めた。

「青春」であったプロレスはこの日で幕を閉じるものの、「まだまだ青春は続く」と、持論である「男は40歳から」を証明するかのように、46歳からの第二の青春も謳歌することを宣言。「小橋建太というプロレスラーがいたことを覚えていてほしい」という小橋の願いと共に、これからはプロレスラー・小橋建太は、数々の激闘や伝説の記録と、感動の記憶として、ファンの胸の中で永遠に生き続ける。

「とにかく全力を尽くしてやろうと思った」

ムーンサルトに行く前に、往年の力強い握り拳を見せた小橋 【t.SAKUMA/佐藤崇】

以下は試合後の会見。

――小橋選手、本当にお疲れさまでした。終わりましたね?

小橋 そうですね。まぁ終わりましたけど、また新たな旅立ちです。

――試合が終わった後にあれだけ柔らかい表情を見せたのは初めてではないでしょうか?

小橋 そうですかね(苦笑)。試合が終わった安堵感もあったと思います。

――安堵感というのは?

小橋 自分のコンディションの悪さというのは分かっていた。そのコンディションの中でどれだけできるかという気持ちがありましたけれど、とにかく全力を尽くしてやると。これまでの小橋建太で、全力を尽くしてやればできると思ってやりました。

――最後はムーンサルト・プレスを出しました。あの技でケガをしましたが、あの技で決めましたね?

小橋 そうですね。武藤さんが先にやったけれど、その後アピールしていたんで。『ALL TOGETHER』でも。

――秋山選手、今回引退試合で同じリングに立って、降り返ってどんな試合でしたか?

秋山 いやもう、小橋さんらしい最後まで全力の、今の1番の状態を出せたんじゃないかと思います。良かったです。

――秋山選手自身はどういった心境で臨まれた試合だったのでしょうか?

秋山 とにかくいいサポートができるように。それだけですね。ここが危ないって時には(カットに)入らないといけないと思っていましたけれど、本人元気でガンガン行っていたんで『これはイケるな』って思っていました。

――あえてカットに行かずに任せるという時間帯も多々ありましたね?

秋山 最後(の試合で)、前に立っていたのが小橋さんの付き人で、小橋さんが教えてきた人間なんで、多分小橋さんもその技を全身で受けてみたいんじゃないかというのも分かっていたんで、なるべくカットには入らないよう。それぞれの技が刻み込まれたんじゃないですか?

健介と潮崎のチョップ合戦には「もっと行け」

かつての付き人である潮崎のチョップをコーナーから見守る小橋 【t.SAKUMA/佐藤崇】

――今日の小橋選手を見て、改めてどんな選手であり、どんなレスラーだったなぁと感じられましたか?

秋山 もう本当にこうやってたくさんファンの方が来てくださって、小橋さんがそうやってファンのためというか、そういうものが全部見えたんじゃないかと思います。すごい人です。

佐々木 そうですね。引退試合という場所だったですけど、僕の中では初めて会った小橋選手との東京ドームでの試合。あの時のままなんですよね。僕にとっては小橋建太という選手は永遠のプロレスラーですね。

――健介選手と潮崎選手がチョップ合戦をしている時間帯、小橋選手はどのように見つめていましたか?

小橋 もっと行け、と。

――それはパートナーである健介選手にですか? それとも潮崎選手にですか?

小橋 お互いに。健介選手もしっかり自分をアピールしたし、豪も負けないようにアピールしていたんで。もっと行って欲しかったです。

――小橋選手の遺伝子を継いでいる潮崎選手のチョップだけあって、健介選手の胸も赤く胸に刻まれていますね?

健介 さすが小橋選手が教えただけの選手だと思いましたね。以前やったよりもチョップの威力は強くなっていたし、今日は更なる力が出たんじゃないのかな。小橋建太引退試合で。小橋選手への思いがあるじゃないですか。そのチョップを通じて思いが僕には伝わってきましたね。

――小橋選手ともうチョップ合戦はできません。

健介 今日は同じコーナーに立っていたんで、タッチの時はチョップでタッチしようかと思ったんですけど(苦笑)。まぁでも僕と小橋選手はあれだけチョップを打ち合ってきたんで。もうその最高の思い出は僕の胸にしまっておきたいですね。

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