谷繁「コツコツやって」2000安打達成=最多出場、最年長での快挙

構成:スポーツナビ

ヤクルト戦の6回に通算2千安打を達成し、ボードを掲げて観客の声援に応える中日の谷繁元信 【共同】

 中日の谷繁元信が6日、神宮球場で行われた東京ヤクルト戦で史上44人目となる通算2000安打を達成した。この日までに残り2本と迫っていた谷繁は、4回にレフト線へ適時二塁打を打つと、続く6回に右前打を放ち、大台に乗せた。

 初安打は、プロ初打席に立った1989年4月11日の広島戦。以来25年をかけて安打を重ね、この日、記念すべき2000本目を迎えた。

 谷繁は1988年のドラフト1位で大洋(現在の横浜DeNA)に入団。攻守の要として活躍し、98年にはチーム38年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献した。また同年、自身初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得するなど、リーグを代表する捕手となった。2001年シーズンのオフにメジャー移籍を目指しFA宣言するも、条件が合わず断念し、中日に移籍。移籍後も、5度のゴールデングラブ賞に輝き、07年の日本一、4度のリーグ優勝(04、06、10、11年)を支えた。

 試合終了後にドラゴンズファンだけではなく、スワローズファンからも“谷繁コール”を受けた谷繁。その後行われた共同記者会見では、何度も笑顔を見せながら、記録を達成した今の心境を語った。

 以下は谷繁のコメント。

大記録達成も「いつもと一緒」

――2000安打を達成した今の気持ちは?

「打ったんだなという気持ちと、チームが負けたので悔しい気持ちもありますね。(2000安打を達成したら)何かを感じるのかなと思っていたけれど、いつもと一緒でしたね。先頭打者だったので、塁に出ようという、いつもと同じ(気持ち)でした」

――和田(一浩)選手がジャンプしながら花束を持ってきた時は、まだ表情が硬かったが?

「はしゃぎたかったのですが、正直なところ感情が沸かなくて。あのジャンプを見て『(2000本目を)打ったんだな』と思いました」

――宮本(慎也)選手から花束をもらった時にかけられた言葉は?

「『おめでとう』って。同級生なんで。『お互い残り少ない野球人生を頑張ろう』って(話をした)」

――スタンドには家族も来ていた

「両親と一番下の息子が来ていました。上の二人は都合で来られなかったのですが、一番下の息子が今日、誕生日だったので、良いヒットになりました。とにかく、いつもヒットを打ちたいという気持ちでやってきたので、いつもと同じようにやりました。息子からは『2000本安打おめでとう』と直筆で書かれた色紙をもらいました」

――キャッチャーとして2000本安打を達成したことについては?

「過去に野村(克也)さんと古田(敦也)さんの2人しか達成していなくて、僕で3人目ということで、よくやったなと思いますね。ただ、僕は7、8番を打っていて、クリーンナップを打つわけではなく、コツコツとやってきたものです」

――最多出場、最年長での記録だが?

「それについては別に意識はないですね。チームで最年長だとか、歳をとっているとかはまったくない」

――1999本目のヒットは同点タイムリー。持ち味の勝負強さが出たヒットだった

「昨日、ナゴヤドーム(で行われたDeNA戦)で、チャンスなのに三振だったので、この打席は打ちたいと思っていました」

「野球を取ったら何もできない」から頑張れた

――2000本の中で一番印象に残っているヒットは?

「初ヒットですね。1本目がなければ2本目はないので。初めて代打で出て川口さんから三遊間に打ったヒットです」

――プロ生活で一番お世話になった人は?

「成長する過程の中で、その時々にすごく良い指導者に恵まれたので、そういう皆さんのことが思い浮かびます」

――記録達成で一番の支えになったのは?

「僕、谷繁から野球を取ったら何もできないので。唯一の取り柄である野球で頑張ろうという気持ちでしょうね」

――今後の目標は?

「毎年言っていますが、『優勝』。今はチームがこういう状態ですが、最後まで優勝を諦めずに戦いを貫きたいですね」

<了>

(取材協力:野球専門誌 Baseball Times)
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