箱根駅伝のヒーローが描く、世界挑戦のシナリオ=東海大・村澤明伸インタビュー
卒業後は日清食品グループ入りし、拠点を米国に移す予定の村澤。米国での練習プランなどを語った 【写真提供:東海スポーツ】
箱根は出場ならずも「悪いシーズンではなかった」
結果的には満足のいく結果を得ることはできませんでしたが、その中で故障をしたからこそ気付けたこととか、いろいろ学べるものもあったので、シーズンとして悪かったという捉え方はあまりしていません。
――「学んだ」というのは、けがを防ぐための体のケアなどですか?
そうですね。これまでけががなかったので、「自分なら故障をしない、大丈夫だ」という過信みたいなものもあったのかもしれないと思います。
――箱根に出られなかったのは残念ですが、その分じっくりとけがを治す時間が取れたのは不幸中の幸いとも言えますね。
自分個人のことを考えればそういう風にも感じますが、大学に恩返しをしたかったという気持の方が強いので。予選会に出ないという選択が正しかったのかどうかは、これからの自分次第だと思います。あの選択が間違っていなかったんだと、周りからも自分自身でも思えるような結果を残していければと思います。
――昨年の日本選手権では10位だったとはいえ、本気で五輪代表に挑戦するレースを経験されました。その成果については?
勝てませんでしたが、4年に一度というプレッシャーを味わうことができたのは、これからまた同じものを狙うという中では良い経験だったと思います。プレッシャーも自分の思っていた以上にすごかったし、「狙うだけでこれだったら出るとなったらもっとすごいんだろうな」と感じられただけでも良かったと思います。
練習は、日本と米国の「良いとこ取り」を
今、世界の長距離界では米国が一番伸びてきているというのがあるので、そこで何か吸収できれば良いかなというのと、練習環境ですね。僕は高地トレーニングに憧れがあったので、長期合宿のような形で米国にいて、日本のレースに合わせるというイメージです。
――場所はどの辺りを考えていますか?
まだ自分の脚が完璧ではないので交渉などはしていませんが、アリゾナ州のフラッグスタッフを考えています。昨年5月のカーディナル招待のあとで下見に行って、施設も整っていたので。
――一緒に練習する予定の選手たちのレベルは?
僕と同じくらいで(1万メートルの記録で)27分台後半ですね。オレゴンなどへ行くと27分台前半の選手もいますが、まずは高地に体を慣らすような地道なことからやっていこうと思っているので、そのくらいのレベルが練習相手にはちょうどいいかなと思います。とりあえずは、自分の脚の状態と走りが戻ったら動きだすという形です。
――まずは1万メートルで勝負できる力をつけたいということですか?
そうですね。日本だと駅伝もある中で区分けをするのが難しいかな、というのもあるので。将来はマラソンをやるつもりですが、いきなりマラソンだと体が持たないと思うので、ハーフ、30キロというように1〜2年かけてうまく段階を追っていこう思っています。
――そのためにもまずはトラックでスピードをつけなければということですね。
スピードがつかないとマラソンでも勝負できないと思っています。やはり2時間4分、5分(の記録を狙う)となってくると、最低でも(1万メートルで)27分30秒くらいのスピードは必要になって来ると思います。
――米国へコーチ留学をしたカネボウの高岡寿成コーチによれば、練習でも走行距離は少ないようですね。
日本のような、駅伝や長い距離の走り込みで得るものもあると思うし、僕自身もその方法で力をつけてきたかなという感じもあります。でも米国の選手が短い距離の練習で力をつけているというのにも興味はある。良いとこ取りかもしれませんが、そういうのを経験したいというのが一番です。