大会史に新たなページを加えたコリンチアーノ=2012FIFAクラブW杯を振り返る
ブラジル化した新横浜
クラブW杯決勝当日の横浜国際。東ゲートではコリンチアーノによって完全に占拠されていた 【宇都宮徹壱】
駅前の陸橋を越えて飲食店が並ぶ広い路地に出ると、今度はチェルシーサポーターの集団を発見。居酒屋の前で、ビールジョッキ片手に日本のファンと記念撮影している。イングランドの強豪クラブの中では、比較的大人しいとされるブルーズ(チェルシーの愛称)サポーターであるが、それでも日本まで駆け付けるコア層は間違いなく存在する。彼らは彼らなりのやり方で、自分たちの存在感をアピールしているように感じられた。
そこからさらに歩みを進め、川を越えて総合リハビリテーションセンター前から横浜国際総合競技場へと続く東ゲート橋にさしかかると、ここから一気に行列の人口密度が増加して、なかなか前に進めない。何やら初詣で客になったような気分だが、正月の厳粛な雰囲気とは180度異なる、やや危険な雰囲気をはらんだ高揚感に満ち溢れている。そうした空気を発しているのはもちろん、白と黒のクラブカラーで身を固めたコリンチアーノだ。はるか前方のほうでは、巨大な応援フラッグが威勢よく振られ、時おり「地震?」と勘違いするくらい足元が揺れる。彼らが飛び跳ねて橋が揺れているのだ。
20分ほどの牛歩を強いられ、ようやく東ゲートに到着。しかしそこも、立錐(りっすい)の余地もないくらいコリンチアーノが詰めかけていて、これまた思うように身動きがとれない。05年にクラブワールドカップ(W杯)がスタートして以来、これまで8大会中7大会の決勝を取材しているが、これほどのサポーターが押し寄せた大会は記憶にない。まさに空前絶後だ。
「レーレレオー、レレオー、レレオー、レレーオー、コッ! リン! チャンス!」
あちこちで発せられるコリンチアーノのコールは、すぐさま東ゲート全体に広がって人の波が激しく揺れる。2012FIFA(国際サッカー連盟)クラブW杯決勝が行われた12月16日。この日の新横浜周辺は、大げさでなくブラジルと化していた。
12年大会の隠れたMVPはコリンチアーノ
この日の公式入場者数は、6万8275人。08年大会の決勝(リガ・デ・キト対マンチェスター・ユナイテッド)の6万8682人にはわずかに及ばなかったものの、堂々歴代2位の数字である。ここで特筆すべきは入場者数の4割近くがブラジルから駆け付けたコリンチアーノで占められていたことだ。今大会はチェルシーの人気がいまひとつで、モンテレイ(北中米王者)との準決勝のアテンダンスは3万6648人。欧州王者が初登場となる準決勝としては、日本開催では最低の数字となった(2番目に少なかったのは05年のデポルティボ・サプリサ対リバプールFCで4万3902人。ほかの4試合はいずれも6万人を超えている)。
言うまでもなくチェルシーは、ランパードやチェフ、アザール、フェルナンド・トーレスなどを擁するスター軍団である。とはいえ、同じプレミア勢でもマンUやリバプールと比べると、どうしても日本でのマイナー感は否めない。思えば前身のトヨタカップ時代、ルーマニアのステアウア・ブカレスト(86年)やユーゴスラビア(現セルビア)のレッドスター・ベオグラード(91年)といった東欧のマイナークラブが来日しても、会場の国立競技場には6万人もの観客が詰めかけたものだ。しかし、リアルタイムでプレミアリーグやチャンピオンズリーグ(CL)が視聴できる昨今、日本の観客もシビアにカードを選ぶようになった。もはや「ヨーロッパチャンピオン」という肩書だけでは、スタンドは満員にはならなくなってしまったのである。
そうして考えると今回、南米王者としてコリンチャンスとそのサポーターが来日したことは、まさしく天恵であったと言えよう。彼らは準決勝が行われた豊田スタジアムでも、スタンドを大いに盛り上げ、さらには名古屋の街に多くのお金を落としていった。そして横浜の決勝では、10年前のW杯をしのぐような雰囲気を作り出したことで、われわれ日本のサッカーファンにとっても極めて印象深い大会となった。コリンチアーノこそ、この12年大会の隠れたMVPと指名することに異論を挟む者はいまい。逆に彼らがいなかったら、今大会のフィナーレはどんなに寂しいものになっていただろうか。