大会史に新たなページを加えたコリンチアーノ=2012FIFAクラブW杯を振り返る

宇都宮徹壱

「集中して試合を観る」大会だったトヨタカップ

豊田スタジアムでのコリンチアーノ。今回の大遠征は大会のあり方そのものを変えてしまった 【宇都宮徹壱】

 今回のクラブW杯は、この大会の転換期となり得るものとして、今後の大会史に明記されるのではないか――。フィナーレから1日が経過した今、あらためてそうした思いを新たにしている。その理由を語るには「なぜクラブ世界一の大会が日本で開催されるのか」という大前提に立ち返る必要があるだろう。

 クラブW杯の前身であるトヨタカップは、もともと「インターコンチネンタルカップ」という名称で、ヨーロッパと南米のチャンピオン同士がホーム&アウエーで戦う形式で1960年からスタートしている。ところがサポーターの暴徒化やラフプレーの応酬、そして大陸間の移動スケジュールなどが問題視され、70年代後半には2度も中止となっている。そこで「中立国での一発勝負」ということで日本が開催地に名乗りを挙げ、80年からトヨタカップがスタートした。

 日本が開催国となり得たのは「国立競技場を満員にしたい」という日本側の思惑もあったが(当時の日本サッカー界は「冬の時代」のただ中にあった)、主催者であるFIFAにとっては地理的な条件に大きな意味があった。ヨーロッパからも南米からもはるかに遠い、ファーイーストの日本。そこでなら完全にニュートラルで安全な試合が可能となる。かくして、トヨタカップは25年の長きにわたって日本で開催され、その伝統は05年から始まったクラブW杯にも受け継がれることとなった(09年と10年のUAE大会を除く)。

 私が記憶する限り、トヨタカップの会場の雰囲気というものは「集中して試合を観る」というものがほとんどであった。スタンドの大部分の観客が「世界一のサッカーを堪能したい」という、日本の熱心なファンで埋められていたのだから当然である。やがて欧州の人気クラブのグッズを身につけて応援する、トヨタカップ限定の“サポーター”も登場するようになるが、本場のゴール裏の熱狂度とはおよそ似て非なる、実に平穏なものであった。大会が94年からナイトゲームとなり、盛大に花火が打ち上げられるようになるのも、大人しい日本の観客が大多数だった会場を何とか盛り上げようという、涙ぐましいまでの運営側の“配慮”であった。

クラブW杯で覚えた感動を次回へ

 ところが今回のクラブW杯に関しては、そうした過剰な演出などまったく不要であった。3万人とも言われるコリンチアーノが、エスタジオ・ド・パカエンブー(コリンチャンスのホームスタジアム)さながらの濃密な空気を作り出していたからだ。それまで、曲がりなりにも「ニュートラルな中立地」であった日本開催が、完全な南米側のホームになってしまったこと――。端的に言えばその事実こそが、クラブW杯の大会史に新たなページを加える特性となった。

 それにしても、今回のコリンチアーノの空前絶後の大遠征は、なぜ実現したのだろうか。すぐに思いつくのが、コリンチャンスがブラジルを代表する人気クラブであること、そして最近のブラジルが好景気を謳歌(おうか)していること、などが挙げられよう。しかし一方で忘れてならないのが、クラブW杯という大会が(少なくとも南米においては)われわれが考えている以上にメジャーな大会となっており、コパ・リベルタドーレスカップを獲得したクラブはもちろん、そのサポーターも「クラブ世界一」の称号を心から渇望しているという事実である。それは、チェルシー戦で見せた選手たちの尋常ならざる闘争心、そして見事にトロフィーを掲げた時のサポーターのはじけっぷりを見れば明らかであろう。

 かくして今年のクラブW杯は、素晴らしい雰囲気の中でフィナーレを迎えることとなった。試合内容もさることながら、およそ日本とは思えない非日常的なスタンドの雰囲気に、多くの観客が感動を覚えながら帰路についたことだろう。こうなると次回大会も非常に楽しみになるところだが、残念ながら13年と14年はモロッコでの開催となる。今後、いつクラブW杯が日本に戻ってくるか、今はまだ分からない。もしかしたら、ほかの大陸でも開催されるようになって、当分は日本での開催がないのかもしれない。

 今大会、「開催国代表」として出場したサンフレッチェ広島のサポーターをはじめ、新たなステージに入ったクラブW杯の楽しさや面白さに魅了された、日本のサッカーファンは少なくないだろう。であればこそ、来年の大会も「当事者」として、モロッコでの大会を楽しみたいところだ。今回は広島が5位、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)チャンピオンの蔚山現代が6位に終わり、アジア勢は完全に脇役に回ってしまった。その口惜しさを晴らす意味でも、ACLに出場するJクラブ勢には、ぜひともアジアの頂点を勝ち取り、モロッコを目指してほしい。そしてそのサポーターも、アジアの代表として、かの地でスタンドを盛り上げながら、自身も大会を満喫してほしい。3万人の大遠征はさすがに難しいだろうが、コリンチアーノとは違った形でのインパクトを大会に与えることを、密かに期待している。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント