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「監督はいかに人をうまく扱うかが重要」
松本山雅FC・反町康治監督インタビュー
J2初参戦の松本山雅を12位に躍進させた反町監督。その指導力に迫った
J2初参戦の松本山雅を12位に躍進させた反町監督。その指導力に迫った【元川悦子】

 2011年にJFLで4位となり、辛うじてJリーグ入りの権利を手にした松本山雅FC。まさに「22番目のスタート」となった彼らが、初参戦した2012年のJ2で12位に躍進したのは、驚くべき出来事だった。


 この好成績は、百戦錬磨のベテラン指揮官・反町康治監督の手腕によるところが大きい。シーズン前の限られた時間で選手を見極め、3−4−2−1のシステム採用を決定。前半戦は基本布陣やメンバーを大きく変えずに戦い、チームの方向性を定めることに徹した。そして後半戦以降、戦力や戦い方のバリエーションを徐々に増やしていったのが成功し、7〜8月と9〜10月にかけて2度の7試合無敗という快進撃を見せた。一時はJ1昇格プレーオフ参戦可能な6位を狙えるところまでいったことは、プロ経験の少ない選手たちにとって大きな自信になったはずだ。


 反町監督は今季について「今の戦力とクラブ力でMAXの結果を出せたと思う」と安堵(あんど)感をのぞかせた。これで近い将来のJ1昇格への期待が一気に高まったが、指揮官は「J2の戦いは甘くない。来年はJ1昇格を目指すなんてとても言えない」と楽観ムードを一蹴した。つねに厳しい視線で現実を見続ける反町監督に、松本山雅の現在、未来、そしてJ2の傾向について語ってもらった。

「現状でのMAXだった。やれることは全部やった」

――開幕前は「中位が目標」と話していましたが、12位という順位をどう見ていますか?


 まあ、一生懸命やった結果。現状でのMAXだったと思います。僕自身、やれることは全部やった気でいますけどね。勝ち点59、総得点46、総失点43という数字は(J2)1年目にしては悪くない。ウチはセットプレーのキッカーがいない分、上位のヴァンフォーレ甲府や湘南ベルマーレなんかに比べて得点数が少ないのは仕方ないところですね。


――初参戦のJ2を迎えるに当たり、松本山雅で一番最初に心掛けたことは?


 チームを立ち上げる時に一番大事なのは、ボタンのかけ違いをしちゃいけないってこと。自分も湘南の3年目(2011年)に失敗した経験があるから、最初の入りで間違ったらダメだと慎重になりました。特に今年は降格制度もできたから難しかった。攻守両面での最低限の約束事を徹底させて、シーズンに入ったのがうまくいった要因かなと思います。


 システムを3−4−2−1にしたのは、Jの舞台で4−4−2のサイドバックをやれる人材がいなかったこと、攻撃のタレントを見てもシャドー的なタイプが何人かいたことが大きかった。開幕から飯田(真輝)、(飯尾)和也、多々良(敦斗)の3バックが計算できたのもプラス要素でした。


――シーズン当初はブラジルFWエイジソンを攻撃の軸に据えようと試みました。


 エイジソンは少し辛抱して、指導したらいけるのではないかなという手応えがあったから。自分が監督になってから一番、個人指導もしました。でも結局、彼は変われなかった。途中から塩沢(勝吾)を1トップに置きました。塩沢はしっかり言われたことをこなそうという意識が強かった。そういう頭の良さがあったから11得点できたのだと思います。


――シャドーのところも最初は木島徹也と弦巻健人が中心でしたが、4月ごろから船山貴之が頭角を現してきましたよね?


 貴之は努力したから。彼はサッカーに対しては特に真面目で、自分で課題を見つけて取り組むことができる選手。僕が何か手を加えたわけでも何でもない。最終的に伸びてくるのはそういう選手ですよ。


――最初は守備一辺倒だった状況が改善され、監督の意図する戦い方が形になり始めたのがアウエー初勝利を挙げた第8節のロアッソ熊本戦くらいではなかったですか?

 そのころかもしれないですね。あの試合もセットプレーから2点を取ったくらいで、相手を押し込むところまではいってないですけど、勝つことはすごく大事です。ウチはJFLの時とはメンバーもやり方も全く違ったわけですし、選手たちも最初は疑心暗鬼だった。そういうムードを勝つことでを少し払拭(ふっしょく)できたんじゃないかなと思います。

「試合中に戦況を読めるようになった」

――その後、中盤でボールをキープしつつ、攻撃を組み立てられる時間も増えました。

 6月のアウエーの大分トリニータ戦(第18節)からユン・ソンヨルが入りました。しっかりボールを動かせる選手が中盤に加わったのは大きかったですね。それまでボランチで出ていた小松憲太も悪くはなかったのですが、自分たちが攻めている時になかなかボールを受けられない。ソンヨルと喜山(康平)が組んで攻撃にリズムが生まれたのは確かです。


――後半戦突入後は白星が急増し、4試合しか負けていません。


 負けたのは甲府(第24節)、ザスパ草津(第32節)、栃木SC(第40節)、ジェフユナイテッド千葉(第41節)ですね。内容的にも攻撃的にいける時間が長くなった。見る側も楽しい試合をしないと面白くないですからね。自分自身、成長したと思うのは、試合中に戦況を読めるようになったこと。特に攻撃面で見極めをつけながら、的確な策を採れる場面が増えた。10年も監督をやって、ホントにやっとだなと思います。


――その典型的な例が、第24節の甲府戦ですね。後半から4バックに変更して試合の流れがガラリと変わりました。


 そうですね。あの試合のハーフタイムに初めて4バックに変えました。今年は1回もやっていなかったですけど、前半戦の戦術浸透度を見ればできると思ったし、後半戦は4バックも入れていこうと考えていたんです。4枚を併用するうえで大きかったのが、多々良です。あいつは右も左もできる選手。9月17日の横浜FC戦(第34節)では途中から左サイドに入って、最終的に右サイドもこなしてくれた。彼みたいな選手がいるのは助かるよ。


――今季を通して見ると、塩沢、船山、多々良の3人の急成長が光りましたよね。


 そうですね。でもそれ以外もみんな、それぞれに成長したと思いますよ。今まであいまいだった部分が整理できて、攻守にわたって自信を持ってプレーできるようになったのだと思います。1つのパスにしても、AからBにパスするのは誰だってできる。でも、大事なのは強弱やコース、右なのか左なのかといった細かいことができるかです。そういうことをきちんと考えてやるように意識づけをしましたが、徹底できた選手が伸びたんだと思います。算数だって足し算と引き算と掛け算と割り算の4つを覚えれば、そこそこ難しいことも計算できる。サッカーも同じで、基本だけ徹底させて、あとは応用問題を試合中に解いていくしかない。ベースがしっかりしてるかどうかで全然違ってきますからね。


 ウチの選手たちはすごくオープンで、試合中でも自分たちで話し合って解決しようという意欲が見られました。特に3バックの多々良と飯田、和也はそう。そういう部分は自分が今まで教えたチームの中で一番よかった。松本山雅の選手は『ここでダメだったら、もう行くところがない』っていう開き直りがあるから、何とかしようという気持ちが人一倍強いのかもしれないですけどね。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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