竹島問題に関するFIFA裁定の経緯=「英雄」として知名度を上げたパク・チョンウ

吉崎エイジーニョ

現実路線でのやりとりを続けた大韓協会

パクは韓国のフル代表にもデビュー。「英雄」として知名度を上げた 【Getty Images】

 一方で、大韓協会はこの間、FIFAと“現実路線”でのやりとりを続けた。

 10月8日、筆者は大韓協会のチョ・ジュンヨン会長を直撃した。以下、インチョン空港にてW杯予選のイラン遠征に出発する代表団を見送りに来た際の内容だ。

――パク・チョンウの件では、FIFAとどのようなやりとりをしているのでしょうか

「すでにメディアに出ている内容ですよ」

――“問題はなかった”と主張しているのでしょうか

「故意ではなかった、ということ」

 つまり、行為自体は間違いだった余地がある。しかしそれは故意ではなかった、という主張を続けた。

 言い換えるならばこういうことだ。

「パク自身が試合前からこのメッセージを持ち込んで掲げたわけではない。興奮した観客が持ち込んだものを『掲げて』と渡された。パクも興奮していたため、掲げた。パクはたまたまスタンドから近い位置に居合わせた」

 これを実証するため、大韓協会は現場の写真、本人との面談の結果を提出したとされている。

 韓国のスポーツ外交力を懸けて提出された資料に対し、FIFAの判断は遅れた。10月、韓国内でも「裁決が出る」とのうわさが流れたが、延期となった。その後、FIFAが韓国側に「追加資料の提出も可能」と再通告。韓国側もこの内容にやや頭を悩ませ、パク本人の直筆メッセージを追加で提出している。このころ、スイスのFIFA本部を訪れた大韓協会会長は「FIFAも採決を負担に感じているようだ」とその印象を話した。

「英雄」として知名度を上げる

 その間のパク・チョンウ本人の様子は、「割り切りと落胆の間で揺れる」といったところだった。8月、9月にはほとんどこの件についてメディアの前で語ることはなかった。

 10月中旬、「FIFA採決が出る」とうわさされた際にはじめて「自分が望まないことをやったわけではない。後悔はない」と話し、その後は「とにかく決定を待つしかない」と繰り返した。

 プレーの面ではW杯予選に臨むフル代表に選ばれ、デビューも果たしている。いっぽうで、所属チームの釜山では厳しい時を過ごした。10月には「集中力散漫」として監督からカミナリを落とされたことを明らかにした。また、11月には「攻撃に意識が行きすぎ」としてリザーブチーム降格を味わっている。

 他方、実物のメダル以外の国家からの待遇は実質上すべて受けられることが決定した。報奨金、年金、そして最も重要な徴兵免除だ。メダルに関しては、授与されなくともレプリカが渡されるという見通しだ。一部ファンからは、銅でできた5ウォン硬貨を集め、オリジナルのメダルを授与しようという話も上がったほどだ。事件を通じてパクは「英雄」として知名度を上げた。

「選手として成長する機会になった」

 IOCからの最終決定はいつ下されるだろうか。韓国内では「近日中」や「未定」といったうわさが飛び交っている。既知のとおり、日本側はこの件での提訴を行わなかった。よって、8月の一時期以外は完全に日本という存在が抜けたやりとりになっている。最初はパクの徴兵免除はどうなるのか。次に大韓協会側の対応にぬかりはなかったのか。そして最近では韓国側の主張がどうFIFAに伝わるのか、だ。

 処分発表があった3日、パクはソウルでのKリーグの表彰式に出席していた。表彰式では、“メダル功労特別賞”を、五輪代表の代表者として受賞するため登壇。その帰り道に、処分の内容を耳にしたという。パクはクラブを通じて、こんなコメントを残した。「選手として成長する機会になった。支えてくださっている皆さまにあらためて感謝したい」。その後、オフに入った。

 日本については、何を思うのか。必ずやその言葉を聞き出してみたい。

<了>

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著者プロフィール

1974年生まれ、北九州市出身。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)朝鮮語科卒。『Number』で7年、「週刊サッカーマガジン」で12年間連載歴あり。97年に韓国、05年にドイツ在住。日韓欧の比較で見える「日本とは何ぞや?」を描く。近著にサッカー海外組エピソード満載の「メッシと滅私」(集英社新書)、翻訳書に「パク・チソン自伝 名もなき挑戦: 世界最高峰にたどり着けた理由」(SHOPRO)、「ホン・ミョンボ」、(実業之日本社)などがある。ほか教育関連書、北朝鮮関連翻訳本なども。本名は吉崎英治。

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