ウルティモ・ドラゴンが語る「波瀾万丈の25年間」と「ルチャ・リブレの魅力」

闘龍門MEXICO

デビュー25周年の記念興行となる『LUCHA FIESTA 2012』を開催するウルティモ・ドラゴン 【闘龍門MEXICO】

“究極龍”ウルティモ・ドラゴンにとってデビュー25周年の記念興行となる『LUCHA FIESTA 2012』が11月7日(水)に後楽園ホールで開催される。日本のみならず、メキシコやアメリカなど世界各国で活躍してきたウルティモは、四半世紀にわたって無数の栄光と挫折を経験してきた。メキシコでのデビュー戦、UWA世界王座奪取、日本への凱旋、アメリカでの活躍、闘龍門の設立、そして左ヒジのケガ……。節目の大会を前に、波瀾万丈の25年間を振り返ってもらった。

■デビューした時、体が震えたんです

――25周年ともなれば、簡単には言葉で言い表せない思いがあるのではないかと思います

ウルティモ そうですね。長かったと言えば長かったし、あっと言う間と言えばあっと言う間でした。でも、4分の1世紀ですから、やっぱり長かったんでしょうね。

――ご自分としては満足している25周年ですか?

ウルティモ 後悔はないですね。もちろんその瞬間は「しまった」とか、「やっちゃったな」と思うこともあったんですけど、後になってから考えてもしょうがないじゃないですか(笑)。

――過去は引きずらないと?

ウルティモ 今現在はいつも毎日楽しくやっているんです。その時は失敗したとしても、今の自分になるための失敗だったわけじゃないですか。今が悪かったら全てのプロセスがダメになるけど、今が良いなら必然的に起こっただけのことで。だから、引きずったりしないですね。

――確かにウルティモ選手が思い悩んでいるイメージはないですからね

ウルティモ 悩んでも、途中で「面倒臭いから、もう別にいいや」となるんで(笑)。やっぱり自分が20歳の時にメキシコに行ったでしょ。日本にいたら大学に行ってる年齢で、ようやくこれから大人になって、社会に出て、人間を形成する大切な時期じゃないですか。その時にメキシコにいたんで、基本的にたぶん……たぶんですよ。頭の中がメキシコ人みたいになっているんじゃないかなという。

――もう考え方がラテンのノリになっていると

ウルティモ 日本で他人の行動を見て、「なんでそんなことをしているのかな?」と思って、口に出しちゃう時があるんですけど、その人に「エッ!?」と驚かれることが結構あるんです。それで、「ああ、そう言えばここは日本だったな」と思い出して。日本とメキシコを行ったり来たりする生活をしていると、そんな風に頭が切り替わらない時があるんですよね。反対に日本にしばらくいてからメキシコに帰ると、「メキシコ人はなにをやってんだよ」と思うんです。で、今度はまた徐々にメキシコ人化していって、日本に来るとまた同じことが起きるんですよ(笑)。

――出国・帰国会見を取材するたびに、「メキシコに帰る感覚」のか「日本に帰る感覚」なのかどちらなんだろうとずっと気になってました

ウルティモ 両方ですね。メキシコにも「帰る」し、日本にも「帰る」し。でも、メキシコに「行く」というのはないです。自分の中で“帰るべき自宅”はメキシコにあるマンションだと思っているので。そこで「ようやく家に帰ってきたな」と感じますね。

――この25周年に何かしらの形容詞を付けるなら、どんな言葉になりますか?

ウルティモ “素晴らしい”25周年じゃないですか。周りの関係者やレスラーの仲間たち、全てに感謝です。日本やアメリカをはじめ、世界各国に僕が戦ったレスラーやお世話になった関係者はたくさんいますけど、僕の中で大きいのはやっぱりメキシコなんですね。

――1987年にプロレスデビューを果たした場所ですからね

ウルティモ デビューしてから最初の3年間はずっとメキシコにいたんですけど、その頃に向こうの選手との戦いを通じて、いろんなことを勉強したんですよね。それが今の僕の財産かなと思います。今でも目をつぶれば、あの頃の風景が浮かんできますね。脳裏に焼き付いて頭から離れないですよ。

――当時、25年間も現役を続けることは想像してました?

ウルティモ そういうことは考えてなかったですよ。レスラーになりたい一心でしたから。だから、本当にレスラーになった時は物凄く感動しました。デビュー戦では体が震えたんです。普通の人はたぶん経験したことがないと感覚だと思うんですけど。

――よく言葉としては使いますけど、実際に震えるような経験なんて想像もできませんよ

ウルティモ よくお風呂に入ると、体がジーンとするでしょ。ああいう感じで体が震えてきて。小学2〜3年生の時からずっとレスラーになるのを夢見てて、それが現実になったわけですから。大人になってからの10年より、子供の頃の10年の方がすごく長いでしょ。だから余計にね。リングに上がるまでは本当に怖くて、緊張してたんですよ。でも、いざ先輩たちのいるリングに入った瞬間に感動してね。

――そこまでの感動した試合は他にありますか?

ウルティモ 僕のプロレス人生ではいろんなことがあったじゃないですか。どれも自分にとってはすごく大切な瞬間なんですけど、自分の体がビリビリと震えたのは、デビュー戦の時とメキシコで初めて世界チャンピオンのベルトを獲った時だけですね。なんて言うのかな、感動という言葉だけでは言い表せないぐらいの気持ちになって。ワーワーと泣いたわけじゃないんだけど、脳天から電気がバーッと体を駆けめぐって、痺れましたよね。「本当に俺はやっちゃったんだ」って。

――88年7月にUWA世界ウェルター級王座を獲った時のことですね。東洋人として初めて同王座のベルトを巻きました

ウルティモ とても名誉なことですよ。今でこそ世界王座っていろんなところにありますけど、あの頃のメキシコの世界王座はランキングもちゃんとあったし、物凄く価値があったんです。たぶん技術的にはたいしたことやってないと思うんですけど、お客さんも沸いたし、自分の中で印象に残っている試合ですね。

プロレス自体が自分の人生そのもの

【闘龍門MEXICO】

――ウルティモ選手のようにたくさんのタイトルマッチを経験してきても、ちゃんと記憶に残っているものなんですか?

ウルティモ でも反対に、アメリカのWCWでディーン・マレンコと8冠とクルーザー級のタイトルを懸けて戦った時(96年12月29日)のことはまったく憶えてなくて。この間、映像を見直して、「ああ、こういう技で勝ったんだ」と思い出したぐらいなんです(苦笑)。ステーィブン・リーガルから世界TV王座を獲った試合(97年5月18日)はよく憶えているんだけど。

――WCWではクルーザー級としてだけではなくて、ヘビー級も相手にしていたんですよね

ウルティモ TV王座はレックス・ルガーやグレート・ムタが巻いていたベルトですから、物凄く印象に残ってます。「とうとうアメリカでもここまで来たか」と思いましたよ。でも、やっぱり本来の自分が持っている力以上のポジションにいたと思うんです。だから、たぶん神様が「コイツは懲らしめた方がいいよな」ということで、手をケガしたんじゃないかと思ってて。今から考えればね。

――98年に左ヒジを負傷し、しかも手術を失敗したことで4年近くの欠場を強いられ、今でも握力は低下したままだそうですが、先ほどのお話の通り、それを引きずってはいないと?

ウルティモ 絶対にレスラーってどこかで落ちていくじゃないですか。ケガしたのはマイナスだと思っている人もいるでしょうけど、あのままやっていたら、絶対に行き詰まっていたと思うんです。ケガをして試合ができない。でも、闘龍門を同時に創った。選手のプロデュースがうまくいって、自分が育てた選手が日本のプロレス界で活躍している。もう自分がレスラーとして上がっていくことはなくても、プロレスを楽しめている。今はすごく居心地が良くて、なんでこんな順調なんだろうと思うんですよ。あの時の自分があるから、今の自分があるのかなってすごく思います。それに、自分の生徒たちに落ちていく姿を見せられないじゃないですか。いい時にパッとできなくなったでしょ。あれも良かったんじゃないのかなと。

――大きな負傷を経験しながらも、25年間プロレスを続けてこられたのはなぜでしょう?

ウルティモ しつこいからじゃないかな(笑)。諦めないんですよ。昔、エル・サムライ選手に勝ってIWGPジュニアヘビー級のタイトルを獲った時(92年11月22日、両国国技館)に、リング上で「諦めなければ、絶対夢は叶います」と言ったら、現場監督をしていた長州さんに「リングでそんなことを言うな」と怒られたんですよ。長州さんと僕のプロレス観は違うからなんでしょうけど、自分は今でもそう思っていて。諦めなかったから、僕は今、プロレスラーでいるわけじゃないですか。できないこともありますけど、いつまでもそういう気持ちでいたいなって。例えば、50歳になっても、「俺はレスラーになりたい」と自分で勝手に思っているのはいいことじゃないですか。他人がどう思おうと、自分で「俺はレスラーになる」と思っていれば。諦めた瞬間から人間は歳を取っていくと思うんです。僕は常に諦めないんですよ。しつこいんです。近くにいる人間は迷惑するんだろうけど(苦笑)。そういう気持ちは大切じゃないかな。

――諦めの悪さが肝心と(笑)。25年間続けてこられたのは、それだけプロレスに魅力があったからだと思うんですが、その魅力はどこにあるんでしょうか?

ウルティモ プロレスの面白さは一言で説明できないかな。子供の頃からプロレスを見ていて、変な話、プロレス自体が自分の人生そのものじゃないですか。だから、「プロレスって何ですか?」と聞かれたら、「俺の人生です」と言うしかないですよ。プロレスって答えが出ないじゃないですか。こういう試合をすれば100点ということもないし。じゃあ、トップロープから3回転するような技を100回やればいいのかと言ったら、そういう問題じゃないでしょ。プロレスって答えが出ないから面白いんです。答えがあるものって面白くないですから。

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