町田樹、「高橋大輔らに続く存在」脱皮のカギは個性の完成=GPシリーズ・中国杯
待ち望まれた「演技派」町田の快挙
フリー「火の鳥」で観客を魅了し、逆転でGPシリーズ初優勝を飾った町田樹 【坂本清】
君が代の流れる中、日の丸とともに会場の大きなスクリーンに映し出される彼の姿を見て、どれだけたくさんの人が、長く長くこの日を待っただろうか、と思った。
2006年、16歳で全日本ジュニアチャンピオンとなり、高橋大輔、織田信成、小塚崇彦に続く存在として期待されながら、世界ジュニア選手権では9位止まり。そこからジワジワと成長を続け、バンクーバー五輪シーズンには3強に続く全日本4位にまで迫り、同年四大陸選手権では銀メダルを獲得。しかし、肝心の場面でミスをしてしまう弱さもあり、グランプリシリーズでの活躍は、今年になるまで見せることができなかった。
ジュニア時代から町田は「演技派」「踊れるスケーター」として、ひそかに人気のある選手だった。ジュニアながら「樹といえば『座頭市』」「僕は『アランフェス協奏曲』が好きだな」などと、同世代の選手たちにも言わせてしまう存在感。また最近は、眼鏡をかけた気まじめな学生が羽目をはずして踊りまくる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、粋な江戸の遊び人が諍(いさか)いに巻き込まれて刀を振りまわす「必殺仕事人風アランフェス」など、キャラクターを作り込んだショーナンバーを披露して、大きな注目を浴びてもいた。
だから今シーズンの大躍進、その鍵は人目を惹きつけて離さない2つのプログラムにあったことも、不思議ではない。
パフォーマーとしての高い力量が成し得た初優勝
町田は、氷上のアーティストと呼ばれたランビエールが振付けを担当したSPを苦しみながら発展、進化させた 【坂本清】
SPは、情熱的なダンサーとして知られたランビエールが、こんなにモダンな作品を作るのか、と驚かされた斬新なプログラム。スイス・ローザンヌのリンクに2人きりでこもり、初めのうちは全くこの曲に合う動きやコンセプトが見つからず、完成を諦めかけたこともあったという。
「それでも2人で苦しみながら、この音楽と向き合って……少しずつ、2人でビルドアップできました。フィギュアスケートではまったく新しいジャンルの音楽を前に、自分たちの表現が発展、進化していくことを肌で感じた。素晴らしい経験でした」
今や町田は、氷上のアーティストと呼ばれたランビエールの一番弟子と言ってもいいだろう。
一方で、元アメリカンバレエシアターのダンサーだったミルズ振付けの「火の鳥」では、人間を恐れていた臆病な火の鳥が王子と出会い、一枚の羽を授け、最後には王子を助けて飛翔(ひしょう)する……そんなドラマチックなストーリーを描き、基本姿勢から動きの1つ1つまで火の鳥になりきることにこだわっている。
「ミルズさんはカリフォルニアの僕のホームリンクにいる先生なので、毎日のようにレッスンを受けられる。このプログラムは常に改良を重ねているので、これからもどんどん進化していくと思いますよ」
アイスショーで侍や学生になりきったように、「火の鳥」になりきることで、試合の緊張感をも乗り越えられる。それほど、見せることに没頭できる質の高いプログラムと、それを滑りこなせる町田のパフォーマーとしての力量。これこそが、シーズンが始まって3大会連続表彰台、グランプリシリーズ初優勝という結果につながった。