大谷翔平、メジャー挑戦という究極の決断=ドラフト4日前の表明は正しかったのか

松倉雄太

今の夢と将来の夢をどこまで考えている?

大谷はドラフト4日前の21日に会見を行い、メジャー挑戦を表明。夢に向かう決断は素晴らしいが、その一方で「遅すぎる」との声も 【写真は共同】

 取材を進める中でもう一つ、「今の夢と、将来の夢(の違い)をどこまで考えているのだろうか」という声があった。

 今の夢とは、もちろん大谷が表明した米国挑戦だ。だが、人生は長い。彼が30歳になり、40歳近くなって選手としての絶頂期が過ぎた時、どんなプランを持っているのか。その時に、日本でやりたいという思いを持っても、現行ルールでは3年間NPBの球団と契約できない。

 そのまま野球人生を米国で終えるつもりならば、退路を断った覚悟ととらえ、誰も口を挟まないだろう。だが、今の夢をかなえた後に必ず出てくるのが将来の夢だ。球界関係者から必ず発せられる、「日本でやってからでも遅くはない」という意見はそういった人生の先輩としての経験談でもあるのではないだろうか。

野球少年たちは大谷の後ろ姿を見ている

 各方面に影響を与えながらも、究極の決断を下した大谷翔平。
 今、在籍する花巻東高が面倒を見られるのは来春の卒業までだ。それ以降は個人事業主として、初めて暮らす米国という地で戦っていかなくてはならない。これから大人になり、人と人の付き合いを学ぶことになるだろう。日本ならば苦境の時でもすぐに相談できる友がいるだろうが、向こうではそう簡単にはいかない。言葉の壁もあるだろう。

 ましてや野球はチームスポーツ。個人の技量がいくら高くても、チームに溶け込み一体とならなければ、技量の100%を発揮することはできない。高校までは同じ年代の選手とプレーしていたが、大人の野球はさまざまな年代の選手がいる。

 多くの困難を乗り越えて米国で成功した時、初めて日本の野球界は変わったと言える。夢を選んだことを称賛すると同時に、これだけは肝に命じてほしい。野球少年たちが、大谷翔平の後ろ姿を見ているということを。

 そして、10年後、20年後の世代にしっかりと受け継ぐことも大事な役割だ。大谷の夢が、野球界全体の夢になることを切に願いたい。

<了>

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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