世界で得た経験をこれからの糧に<後編>=元日本代表 広山望インタビュー

元川悦子

初めての海外挑戦となったパラグアイではリベルタドーレス杯にも出場。広山(右)は日本における海外移籍の先駆者とも言うべき存在だ。 【写真:ロイター/アフロ】

 南米、欧州、北米と世界の主要サッカー大陸でプレーしたフットボーラーなど日本にはめったにいない。そういう意味でも、広山望の生きざまは注目に値する。

 初めてパラグアイに赴いたのは2001年。当時、すでに中田英寿や名波浩、小野伸二ら数人が欧州挑戦を果たしていたが、南米最高峰の大会であるコパ・リベルタドーレスに出場したのは彼だけだ。直後に渡ったブラジルでは、フラメンゴへの移籍話が立ち消えになり、チャンスをつかみかけたスポルチ・レシフェでも労働ビザが下りないなど、紆余(うよ)曲折を強いられた。それでも何とか欧州に移籍する幸運に恵まれ、スポルティング・ブラガやモンペリエでプレーする機会を得た。その両クラブは今季UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に参戦している。広山は欧州屈指の躍進クラブと太いパイプを持つ数少ない日本人の1人なのだ。

 今でこそ世界各国で日本人選手が何十人も活躍しているが、彼のような先駆者が扉をこじ開けたからこそ、今があることを忘れてはならないだろう。

 がむしゃらに世界を駆け回り、日本でも10年以上戦った長いキャリアを彼はどう受け止めているのか。そして今後の指導者人生にどう生かしていくのか……。そのあたりを引き続きうかがった。

強烈な印象が残っているのはブラジル

――広山さんは5つの国でプレーしましたが、それは大きな財産ですね

 面白かったなというのが一番ですね。環境が変わるのは相当エネルギーを使うけど、やった後に残るものはすごく大きい。それに、環境が変わった1つひとつの出来事を思い返してみると、そんなに大変だったとは思わないし、そう思う暇がないくらい毎日忙しかった。その経験のおかげで、また次にどこかへ行く時はわくわく感しかないですね。

――高度な適応力が養われたんですね。では、海外でプレーした中でいくつか印象的だったことは?

 やっぱり最近なんで、まずはアメリカですね。サッカー選手、人として全く違った価値観にさらされたし、そういうことはすごく大事だと思いました。

 あと、強烈な印象が残っているのはブラジルかな。僕は結局、試合に出てないし、ビザも下りず給料未払いにも直面した。それでも、ブラジルにおけるサッカーが“全く違う競技”のように感じたのは衝撃的でした。

 2002年の日韓ワールドカップの時も、国内リーグが並行して行われているのは驚かされました。ブラジルのクラブは全国選手権と州リーグ、県リーグに並行して出場している。だから、同じ地域にあるクラブならカテゴリーを超えてダービーになるし、みんなセレソン(ブラジル代表の愛称)のことも忘れて必死に応援する。それに、小さなクラブでプレーする無名選手も物すごくうまくて特徴があるやつがいっぱいいるし、そこからのし上がってスターになる選手が出てくる。だからこそ、ブラジルにはサッカーの夢やドラマが多く詰まっているし、そういうブラジルのサッカーが僕はすごく好き。発想を膨らませるためにも、日本の関係者全員に見に行ってほしいと思ってます。

言葉が分かれば世界への足掛かりが増える

――欧州やアジアを含めて海外へ出る日本人選手が急増していますけど、成功するためには何が必要?

 力があれば成功できると思います。今、欧州に行っている選手の大半が日本代表だし、モチベーションも責任もあるから問題ない。通訳がいなくて言葉が分からないなどの問題があったとしても、もともと力やスキル、センスを持っていて、サッカーの知識や経験が豊富にあれば、すり合わせられる部分は多いはず。日本人はそういう調整能力に長けてますしね。実際、僕は一度も通訳をつけなかったので、練習メニューを理解するうえで言葉を学ぶことが必須の環境でした。それに、言葉を覚えた方が楽しいし、海外にも長くいられる。

 代表選手は欧州との往復があったりして大変だけど、言葉が分かれば助けてくれる人が日本人だけじゃなくなるのは大きい。僕なんかほとんど現地の人に助けてもらってました。それに、世界への足掛かりが増えるのもプラスです。今、モンペリエの時の同僚がスポーツディレクターやU−18の監督をやっていたりするので、そういうところにも気軽に顔を出せますからね。

――海外移籍の低年齢化が進んでいるけど、それについてどう思いますか?

 日本のサッカーが強くなるためには絶対に必要なこと。才能があって、行く場所があるなら、それはいいことですよね。環境を変えるのは人としてもプラスだし、成功したら大きな成果を得られる。そういう話が若い選手に来てる時点で、日本サッカーの成長の証だと思います。ただ、日本は欧州や南米から遠いし、リスクを冒さなくてもサッカー選手としてやっていける環境があります。それに、普通の親は子どもを残したいと考えるから、親がオープンな考えを持っていないと難しいでしょうね。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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