世界をさすらったフットボーラーの軌跡<前編>=元日本代表 広山望インタビュー

元川悦子

2012年に現役を引退した広山が、これまでのサッカー生活と今後について語ってくれた 【スポーツナビ】

 元日本代表MF広山望は、96年のジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)入りを皮切りに、パラグアイのセロ・ポルテーニョ、ブラジルのスポルチ・レシフェ、ポルトガルのスポルティング・ブラガ、フランスのモンペリエと世界を行脚し、2004年にJリーグに復帰した後は東京ヴェルディ、セレッソ大阪、ザスパ草津でプレーした。2010年末に戦力外通告を受けた30代のベテランが、現役最後の戦いの場所として選んだのが、米国独立リーグのユナイテッドサッカーリーグ(USL)に属するリッチモンド・キッカーズだった。2011年4月に米国に渡り、2シーズンを過ごした広山は、2012年8月末、17年間のキャリアに終止符を打つことを決断し引退を正式発表した。

 そんな広山が先ごろ帰国し、単独インタビューに応じてくれた。たぐいまれな国際経験を積み重ねてきた“さすらいのフットボーラー”が自らの現役生活を振り返るとともに、今後への展望を力強く語った。

これからは新たなスタート

――17年間の選手キャリアに区切りをつけた今の心境からお聞かせ願えますか?

 引退って感覚はあんまりないですね。リッチモンドでの2シーズン目が始まる前に「今季限りで引退しよう」と決めてましたし、現役をやめてもサッカーから離れるわけじゃないから。確かにプレーする楽しさはかけがえのないものだけど、僕自身は心からサッカーが好きですし、プレーするだけがサッカーの魅力じゃないことも分かってる。これから違った角度からサッカーの勉強することになるので、自分の中では「新たなスタート」という気持ちの方が強いです。

――今後のことは決まっているんですか?

 はい。日本オリンピック委員会(JOC)の海外指導者派遣制度でスペインへ行くことになっています。この制度で海外に行っているのは五輪でメダルを取った他競技の人が多く、サッカーは3人くらいしかいないと聞いているんで、本当にラッキーですよね。まだ研修場所と期間が明確になっていなくて、日本サッカー協会の関係者と調整中ですけど、遅くとも年内には出発することになります。世界最高峰のスペインで指導者の勉強を1からスタートできることは、自分にとって最高の経験になると思いますね。

米国のサッカーは理想よりもビジネス優先

――なるほど。その話は後から詳しく伺うとして、まずはリッチモンドでの2シーズンを総括してもらえますか?

 米国は行ったことのない国だったし、南米とも欧州とも違うという意味で興味がありましたけど、実際に期待以上の経験ができました。僕が今まで持っていた価値観を1回、リセットできたのは大きかったですね。

 まず衝撃的だったのが、クラブの立ち位置。Jリーグには百年構想があって、地域の夢を前提に成り立ってますよね。でも、米国のクラブはMLS(メジャーリーグサッカー)筆頭に完全にビジネス中心。経営が回らなかったらなくなるし、そこに理想はない。実にドラスチックなんです。Jリーグも来年からクラブライセンス制度が導入されますけど、本当に米国はその部分に特化している印象ですね。

――それを具体的に言うと?

 僕のいたリッチモンドというクラブの場合、トップチームと育成・普及チームで会社が分かれていて、育成・普及の方で経営基盤が成り立っています。トップチームは象徴的な扱いでしかない。スポンサー料や入場料などの収入がグランド醸成に回されて、今では天然芝6面、人工芝2面の合計8面のグランドが整備されています。そして、そこでスクール事業、アカデミー事業が展開されています。U−7〜U−18の年代別チームがレベルごとに4つくらいあって、毎日1000人単位の子供が集まっているし、サマーキャンプとか、幼稚園やプレスクールを対象に指導者を派遣して、30分サッカーの授業を行う『リトル・キックス』というプログラムもあります。米国は男子も女子も同じ人数が来るんで、すごい人数を受け入れているんです。

 こうしたプログラムの責任者や育成チームの監督を、トップチームの選手の約半数が担っています。リトル・キックスのプログラムは、選手の1人が会社を起こし、クラブから委託を受けて運営して、幼稚園やプレスクールにほかの選手を派遣する形になっています。サッカー選手だけじゃなかなかお金にならないけど、そういう仕事をすることで、ある程度の収入を得られますからね。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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