関塚監督「自分がやれることはやり尽くした」=U−23日本代表監督退任会見

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関塚監督が退任を発表。「またどこかで監督をやりたい」と今後への意欲をのぞかせた 【スポーツナビ】

 ロンドン五輪でU−23日本代表を率いた関塚隆監督は30日、都内のJFAハウスで退任記者会見を行った。関塚監督は契約満了に伴い退任する。

 関塚監督は会見で「2年間、内容の濃い充実した日々を送れた。代表の仕事は初めてだったので、手探りの状態が多かった」と振り返り、「自分がやれることはしっかりやり尽くしたと感じている」と完全燃焼したことを明かした。今後についてはまだ未定だが、「いい話があればぜひ監督をやっていきたい」と自身の希望を語った。

手探りの部分も多かった

登壇者:
関塚隆(U−23日本代表監督)
原博実(日本サッカー協会技術委員長)

原委員長 関塚監督以下、コーチングスタッフは全員が任期満了となりました。五輪のベスト4ということで非常に良いチームをつくってくれたなと思っています。

 2010年に監督を決めた経緯をお話ししますと、五輪に関していえば、五輪の予選はAマッチデーではないですよね。Jリーグの経験が豊富で、Jリーグのことも知っていて、フル代表の中のコーチを兼任しながら五輪の監督をやってもらえる人がよかった。そういうこともあって関塚監督にお願いしました。契約の話をしたときもブラジルワールドカップ(W杯)までという話をしたんですが、最初からロンドンまでの2年間を区切りにして、そのあとに今後のことを話しましょうということでした。それで先日、関塚監督以下、スタッフと話し、ここで区切りにしようということにしました。僕は個人的に関塚監督と話をして、Jリーグと違った経験を積み、必死に戦う姿を見て、関塚監督は監督の方がいいなと思った。代表のコーチも大切な仕事ですが、この2年間で今の代表のスタッフでできるだけの環境は整ったと思います。ですけど、最初は手探りの状況で、すぐにアジアカップもあるということだったので、関塚監督が手伝ってくれたことでうまくいった部分も多くあります。

 本当に五輪は難しいです。五輪世代がこれだけ海外に行くことは僕自身も想像していなかったです。予想以上に早くから海外に行く選手が増えて、Jリーグのカレンダーとオーバーエイジ枠もW杯予選が重なって、すべてが理想どおりというわけではなかったと思います。ですけど、うまくやりくりをしてくれて、関塚監督の特徴である粘り強く、ぶれないチームをつくってくれたことがロンドンの結果につながったんだと思います。本当に関塚監督以下、コーチングスタッフの働きに感謝して、今後の彼らの活躍を願っていきたいです。

関塚監督 僕自身も10年の9月に契約して、本当にこの2年間、内容の濃い日々を送りながら、充実の2年間だったなと感じています。僕自身も代表の仕事は初めてでしたし、非常に手探りの部分も多かったです。ただ、本当に経験豊富なコーチ陣がやってくれたおかげで助かりました。コーチ陣も任期満了ということになりますけど、1人ひとりが力のある指導者ですし、その中でやれたのは大きかったと思います。原さんから「五輪の監督と代表のコーチをやってくれ」とお話をいただいたとき、誰が代表の監督になるか分からなかったし、(決まるまでに)時間は少しかかりましたけど、やらせていただいて本当によかったと思っています。

 10年に岡田(武史)監督が南アフリカW杯で結果を残し、その後代表が進化していくという大事な中で、非常に重責でしたが、アジアカップで優勝し、本当に代表は進化しているなと思った。その中でどう若手を底上げしていくかということで、この2年間、いろんな選手を見てきました。そして「日本の選手は本当に力があるな」と感じました。今度はブラジルW杯に向けて、代表として名を連ねてもらうことが、われわれスタッフが望んでいることです。

 やっている中でいろいろ想定外のことも起きましたけど、やはりコミュニケーションをとりながら、勝ち抜いて、五輪出場そして五輪ベスト4で6試合やれた。もう少し頑張れば、メダルを取れたかもしれないので、残念な面はありますけど、今度は代表でその悔しさを取り戻してもらえればと思っています。僕自身は集大成として五輪を考えていたし、自分がやれることはしっかりやり尽くしたと感じています。今後も日本サッカー界のために微力ですが、指導者としてやっていきたいと思います。今日言えることは、サッカー協会で尽力してくれた関係者に感謝していること、僕自身も指導者として今後どこかで指導していきたいということです。あまり言葉を発しなくて申し訳なかったと思いますが、僕の性格はこういう性格なので勘弁してもらいたいです(笑)。

またどこかで監督をやりたい

――2年間の活動の中で、いろいろ苦労もあったと思う。1番大変だったことと、五輪6試合の中で一番達成感のあった試合はどれか?

関塚監督 2年間の中ではいろいろありました。最初のアジア大会のメンバー選考から、非常に難しい世代の大会だと思いましたが、非常にあっという間の2年間だったので、ひとつクリアしたらまた次の試合へのアプローチの中で解決していかないといけない点がありました。それを原さんやスタッフと話しながら最善を尽くした2年間だったと思います。難しかった点は1つひとつをベターにしていくやりくりの点かなと。

 五輪6試合の中で一番印象に残っているのは初戦のスペイン戦です。やはりそこをクリアするためのアプローチが、コーチングスタッフの中でうまくいったなと。7月7日にJリーグがあって、11日に壮行試合があって、14日にJリーグがまたあって、18日にベラルーシ戦、21日にメキシコ戦とマッチメークした中で、どういう形で本大会に臨めるか。7月2日に発表して、どうチームを固めて、戦術をやりながら、コンディションをしっかりと整えて、本大会に入れば中2日で6試合ある中で、どうやるかというところが、われわれコーチ陣も非常に考えたところです。そこをうまく入れたところが大会で結果を残せた理由だと思います。印象に残っているのは大会に入る前の部分がよくできたなと。吉田麻也のけがもあり、彼をどうチームにフィットさせるかということも含めて、ここが一番充実したプロセスだったなという印象です。

――あらためて思い返してみてメダルを取れなかった原因は? あと今後については、具体的な希望はあるのか?

関塚監督 メダルを取れなかったのはやはり監督の責任だと思います。永井(謙佑)や酒井宏樹もけががありましたが、メディカルが、彼らをよくピッチに立たせてくれたなと。非常によくやってくれたと感謝しています。メキシコ戦では先制しながら勝ち切れなかったのは残念です。ただ、僕自身も北中米を視察して、トゥーロンでメキシコを見て、非常に完成度の高いチームだなと思っていました。ましてや本大会ではオーバーエイジが3人入ってきた。たくましさとタフさと、戦い方のバリエーションからしても、非常に力のあるチームだなと思っていました。われわれもゲームプランを立てながら入り、点を取るまではよくできていた。ただ点を取ってから大事に行こうとしすぎたのが相手にリズムを与えてしまったのもあります。もう少しこのチームで試合を重ねて、こういうタフさや経験があれば、この辺ももっとできた部分はあると思いますが、それをやらせるのが監督の仕事です。

 韓国戦も警戒していた形で2失点。このへんも一瞬のすきというか、チャンスをどう生かせるかの戦いだと思います。われわれも一発勝負で点を取りにいかないといけないときに、どういうふうに攻めるのかということをもっと共有していかないといけなかった。今は終わったことですが、結果的にメダルを取れなかったということで、相手がそこは上回ったということですし、われわれのチームとしての力が足りなかった部分だと思います。

 今後のことについては、僕自身も2010年でJの監督を離れましたが、外から自分を高める時間をつくるために離れました。そのときに原さんからこういう話をいただいて、代表の仕事をさせていただいたので、またどこかで監督をやりたいというのは思っています。これからコーチ陣も次の場所が決まってほしいですが、自分もいい話があればやりたいと思っています。

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