川崎とF・ニッポンのありえないコラボ=等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー

江藤高志

入念な準備のもと行われたイベント

イベントを取り仕切った川崎の恋塚唯氏 【江藤高志】

 事前の視察や国内のトップドライバーの運転であるということを含め、JRPにはやれる自信はあった。しかし、統括団体である以上、絶対に失敗はできない。だからこそ「もし、ダメそうな時はエンジンだけ掛けて帰ろうと、というくらいの覚悟でした」と白井社長は回想する。

 小檜山広報も「ドライバーやチーム。エンジンサプライヤー、タイヤサプライヤー、各メーカーさんの立場がありますし、われわれの意地もある。絶対に失敗はできないし、そういうことになるならデモ走行はすべてキャンセルしよう」とその時のことを振り返る。JRPにとってプライドを懸けたイベントだということもあり、川崎側の担当者が朝7時に等々力陸上競技場入りしているのに対し、「われわれは6時半に入ってました。早く入るのが美学なんですよ(笑)」と小檜山広報。「車が来ますからね。その受け入れの準備が必要なんです。車を下ろしてコロコロと押していくんですよ」と白井社長は話す。

 車両の準備が整い、今季のフォーミュラ・ニッポンのポイントランキング首位の塚越広大と2位の中嶋一貴の両ドライバーが会場入りしたのが朝の10時。その後11時から行われたリハーサルによって、2周ほどの周回であればスリックタイヤでも問題ないことが確認され、本番もこれで行われた。

「最初はレインタイヤも用意してくれていたんですが、最終的にスリックタイヤで行けました。万全な状態でリハーサルを終えて、準備ができていたので安心して見ていられました」と話す恋塚氏が、トラックの保護に加え、最後まで気に掛けたことが2つほどあった。それがTV用のケーブルの取り扱いと、報道陣の動きだった。Jリーグが行われる試合当日は、TV中継用のケーブルがトラック上を縦横無尽にはった状態になる。そのケーブルをフォーミュラカーが踏んだ場合、パワーが強すぎてタイヤに巻き込む可能性があった。

 そこで、ケーブルを持ち上げて頭上に逃がすという方法を取ったのである。この方式を取る場合、もし仮にそのケーブルが垂れた場合、下手をしたらドライバーに引っかかり、重大な事故になる可能性があった。だからこそ、川崎のスタッフは緊張感を持ってこの作業に従事した。また、ピッチレベルの報道陣の動きも読めなかったため、細心の注意が払われた。こうした作業を見守った白井社長は「そこの段取りはさすがフロンターレさんのスタッフさんは大したものでしたね。われわれはそういう環境でやっていますが、彼らも同じようにぱっぱっぱとやっていて指揮系統もちゃんとしてて素晴らしかった」と述べている。

子どもたちに本物を見せたかった

 これらの影の努力の中、行われたデモ走行を前に白井社長は「2人には『音は派手に。車は地味に』とだけ指示して送り出しました。プロならできるだろうと。速さに関しては、それほどではなかったかもしれませんが、音についてはやれたのかなと思いますね」と振り返る。またブラックマークが付く可能性が最も高かったのは、スタートのタイミングだったが、これも当日ピットとして使われたエリアの足元がコンクリートだったことで全く問題なかったという。

 当日の走行については車体に搭載したオンボードカメラでの映像が朝日新聞社のYouTube公式チャンネルで公開されており確認することができる。またサポーターの手によってアップロードされた動画もYouTube上に複数存在している。その中にはデモ走行後にスピーチした中嶋悟JRP会長に対する川崎、神戸両チームのサポーターの拍手も録音されており「ありがたかったです」と小檜山広報は話す。

 ちなみに成功裏に終わることができたこれら一連のイベントは、すべてキッズ年代を対象にしているのだと小檜山広報。

「今回、主となる対象はキッズでした。お子さんに対して本物を見せてフォーミュラ・ニッポンを告知するというのがベースにあります。試合前に(フロンパークで)行ったコックピットの乗車体験はお子様限定でしたし、テントで行った抽選会もそうですね。子ども向けのイベントではあるんですが、車が嫌いな子ってそんなにいなくて、車を見て喜んで興奮しているお子さんを見て、逆にわれわれが励まされました」

 子ども時代の刷り込みは強烈なもので、この日に会場を訪れてあいさつしたJRPの中嶋悟会長が日本人初のフルタイムのF1ドライバーとしてデビューしたそのレースのイメージが筆者の頭には残っている。深夜に放送されたデビュー戦を寝ぼけ眼で見ていた筆者は、キャメルカラーのロータス・ホンダを駆る中嶋の車体を探し続けた。もう、25年も前の話になろうかという思い出がいまだに脳裏に残っているのだから、若かりし時代の体験侮れずである。

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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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