藤田俊哉「幸せなサッカー人生だった」=現役引退会見 ヨーロッパで指導者を目指す
印象に残っているのはリーグ戦初V
97年に磐田でリーグ戦初優勝した時のたぶんアウエーのジェフユナイテッド(市原、現千葉)戦が僕は一番記憶に残っています。初優勝の時の気持ちっていうのは、今でもものすごく心に強く残っているので、ぱっと思い出せるといったらその試合になりますかね。
――藤田選手はJリーグのMFでただ1人、100点以上取っているが、どのゴールが一番印象に残っているか?
ハッキリ言って僕はあまり自分のゴールは鮮明に覚えられるような選手ではないので、よく分からないんですけど、何なんでしょうね(笑)。僕は点を取ることは好きですけど、試合に勝つためのゴールを取るのが好きで、僕以外の誰かが取っても試合に勝てればうれしいですし、僕のゴールっていうのはあまり印象ないですね。今、思い出しました。リーグ戦よりワールドカップのアジア予選、シンガポールで1点取った。あれよかったなと思います。Jリーグじゃなくてすみません(笑)
――清水商、磐田と静岡でサッカーをしているが、静岡での経験が今につながっているところはあるか?
僕のサッカーの原点は静岡の清水で育てられたと思います。サッカーどころの静岡、清水でみんなと考えられないほどの時間をサッカーに費やして、近所ではあの子はサッカーしかやらないとまで言われて育って、僕のサッカーのすべては清水にあると感謝するばかりです。清水で一緒にサッカーをした仲間にも1人ひとり伝えたいくらいです。
――挑戦を決めた時期とそのチャレンジャー精神は選手時代からつちかってきたものなのかをうかがいたい
時期につきましては、僕はオランダでプレーする機会があったんですけど、6カ月という短いものでした。もう1回ここで何らかの形で勝負したいという気持ちはあったので、6カ月で帰ってきた時にまた行きたいと、どういう形かは分かりませんけど、またチャンスが巡ってきたってところで絶対にやりたいと思いました。
性格なんだと思いますが、みんなが踏み込んでない道に行ってみたいとか、大きな山があったら登ってみたい。挑戦することが大好きです。あまり結果にこだわらず、とにかくその山に登ってみる。それは小さいころからの性格だと思います。
オランダとの縁が深かった
まずは日本でS級ライセンスを取って、指導者としてのスキルアップを1年間かけて行いたい。指導経験もない1人の男が一気に監督までできるはずがないんで、向こうにいっていろんなことを勉強して、みんなと競争の中で勝ち抜いて、何らかのポジションをまた築くっていうのは選手とまったく変わらないと思うんです。
選手は終わりましたけど、新たな挑戦もまた選手と同じような形で進むんだろうなと。もちろん目指すところはビッグクラブでやりたいってところは強いですけど、まずチャンスを与えられたところでベストを尽くして、自分を評価してもらうってことが必要だと思うので、VVVの力になれればと思います。
――VVVには吉田、カレンがいるが、彼らの反応は?
彼らに余計なことを考えさせたくないので、相談していません。一人で必死に考えました。今日から言ってもいいかなと思うんで、後で電話してみようと思います。
――オランダはユーロでグループリーグで敗れ、最近ではJリーグでも失敗した監督がいるが、オランダサッカーに対するイメージは?
94年にジュビロ磐田に入団した時も最初の監督はハンス・オフトでした。僕はゆくゆくオランダでプレーすることになりました。戻ってきて名古屋グランパスでプレーすることになった時も(オランダ人の)フェルホーセン監督で、熊本に行って、千葉でお世話になった時もドワイトさんでした。なんでこんなにオランダづいてるのかなというのが感想です。
もちろんヨーロッパにはほかにいいところもいっぱいあると思います。でもつながりは縁だと思うし、僕はそういうのを大切にしたい。オランダはそんなに大きくない国なのに、サッカーに対しては歴史も盛り上がりもある。カリキュラムもトレーニングメソッドもしっかりしていますし、そういうのをまず自分の中に入れて、消化して、自分なりに日本とマッチングできればいいなと思います。オランダがすべてだとも思ってないですし、自分の中の1つの比較材料としてオランダで勉強させてもらえれば。
日本もすごくいいと思うし、行ったらまた感覚も変わると思う。ただオランダサッカーから教えられるものはすごく多かったですし、自分がもっと知りたいという興味も多かったので、まず行ってみたいと。そういう感じですね。
<了>
取材:元川悦子