人々の温かさに触れたウクライナでの日=中田徹のユーロ通信
大会の終わりを名残惜しむ
決勝戦が行われたウクライナは大きな盛り上がりを見せた 【写真:AP/アフロ】
3度目の共催大会となった今回のユーロは、前回のオーストリア・スイス大会に引き続いて主催2カ国が共にグループリーグで姿を消した。それでも決勝戦の舞台に選ばれたウクライナの盛り上がりはスゴかった。
中でも忘れてならないのは、試合前日のエルトン・ジョンとクイーンのチャリティーコンサートだ。個人的にはファンゾーンの中には入らなかったが、それでもコンサートで町が燃えているのは実感できた。
「もしかしたら20万人ぐらいいたんじゃないか」とは、実際に取材したフォトグラファー。ともかく人、人、人の大にぎわいだった。サッカーというスポーツは、決してサッカーだけにとどまらない――そのスケールの大きさを実感したファンゾーンでの大コンサートだった。
道には迷ってみるもの
6月22日、グダンスクで行われた準々決勝、ドイツ対ギリシャの時の町の雰囲気は最高だった。宿泊先が見つからないサポーターたちは、夜通し歌を歌い、踊りを踊った。ホテルで寝ていても、「うるさいな」と感じたが、そのうるささが心地よかった。
今から思えば、あのグダンスクの夜がポーランド側にとっての、ユーロの打ち上げだったのかもしれない。ポーランドにおける次の試合は、28日のワルシャワの準決勝。6日後とあって、さすがに中だるみしてしまった。
今回、僕はグループリーグをウクライナ側で観戦し、中1日の間隔で6試合見た。準々決勝と準決勝はポーランドで見たが、10日間の滞在でたった3試合しか見なかった。そして今はまた、ウクライナにいる。だからウクライナの方が、移動、移動の連続だった。おかげで道に迷うことも、ウクライナの方が多かった。
道には迷ってみるものだ。旅先における人々の親切が身にしみる。キエフではアパートを借りて泊まることが多かった。ある時、住所を渡され現地へ行ったものの、アパートの棟がどれだか分からないことがあった。すると、公園で子どもを遊ばせていた若奥さんが助けに来てくれて、周囲の人に場所を聞きながら一緒にアパートを探してくれた。
やっと見つかり、お互いやれやれとなったところで彼女はこう言った。
「あなた、さっきから同じところをグルグル回っていたでしょ!? この時、わたしは思ったの。『オー、マイ・ゴッド! 何とかしてあげなきゃ』と」
こういうことを繰り返していくうち、彼ら・彼女らはかなり英語でコミュニケーションがとれることを知った。ウクライナに来る前、英語が通じず大変だったというような記事や体験記を多く読んでいたが、僕個人の経験としてはまったく不便を感じることなく日々が過ぎていった。
大会前は不安のタネが尽きなかったが
シェフチェンコが2ゴールを挙げた『シェフチェンコの夜』も、オランダサポーターとハルキフ市民の『ファンゾーンからスタジアムまで、5キロの大行進』も、『推定20万人の大コンサート』も体験できた。非常に充実した日々をウクライナで過ごすことができた。
ところが、ポーランドでグループリーグを過ごした記者たちは、「ポーランドはとてもいい。町はきれいだし、食事はうまいし、物価は安いし、人々はやさしい。女性だってポーランドの方がきれいだ」と言って譲らない。旅のトラブルに見舞われながら中1日で移動と観戦を繰り返した方の国に、自然と情が移っていくものだろう。さらに、ポーランド対ロシアの盛り上がりもまた、彼らに大きな印象を残したようだ。
BBCのドキュメンタリー番組『パノラマ』がウクライナ、ポーランドのサッカー場における人種差別問題を放映するなど、大会前に不安のタネはつきなかった。しかし実際に現場へ来てみると快適に毎日を過ごすことができた。今は拍子抜けすらしている。
<了>
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