陸海空をつなぐ自衛隊のサッカー=プレーできる喜びと感謝の気持ちを胸に
自衛隊員にとってのサッカーとは
開会式で選手宣誓を行った隈本瑛司3曹(空自アズーラ松島) 【平野貴也】
23日に駒沢オリンピック公園で開幕した「第46回全国自衛隊サッカー大会」は、全国の基地・駐屯地で活動を行っているサッカーチームの日本一決定戦。1967年開催の第1回から毎年行われ、第9回までは日本サッカー協会が主催していたという由緒正しき大会だ。ただし、昨年度は地区予選こそ行われたものの、全国大会は中止となった。理由は、全国の自衛隊員が東日本大震災に伴う災害派遣活動に従事したためだ。22日に行われた開会式で選手宣誓を行ったのは、基地が津波で壊滅的な被害を受けた航空自衛隊松島基地(以下、空自松島)のチームで主将を務める隈本瑛司3曹。宣誓は前回大会優勝チームが行うのが通例だが、今回は特別推薦で決まった。「何百人もいる中で政治家の方たちも来られていたので、緊張はすごくしました。でも、まあ言いたいことを言おうと思って頑張りました」と話す隈本さんの宣誓の後半は、次のような内容だ。
「今大会は、震災後、第一回目の大会です。わたしたちはこの一年支え合った仲間とともに、サッカーができる喜びと、感謝の気持ちを胸に、今後続く復興への原動力となるよう、正々堂々、全力でプレーすることを誓います。がんばろう日本。がんばろう自衛隊」
普段は「有事に備えて訓練をしている」という漠然としたイメージの強い自衛隊だが、震災以降は救助、復旧作業に従事する彼らの姿が何度も報じられた。空自松島の監督を務める加藤秋弘さん(元J2熊本のMF加藤健太さんの父親)は震災直後、基地の外に流出したドラム缶を回収するほか、ガソリンや灯油、軽油を避難所に供給する民生活動にあたった。「長くやってきたけど、自衛隊と国民の距離が一番近付いたと実感した」と当時を振り返る。かつてないほどその存在がクローズアップされた彼ら自衛隊員にとってのサッカーとは何か。その正体を探りながら、この大会を紹介することを目的に、各チームの監督や選手に話を聞いた。
独特なコミュニティーの形成に役立つ
厚木マーカス(赤と黒のストライプ)は関東社会人リーグ2部で戦っている強豪チーム 【平野貴也】
11回目の全国大会出場となる長谷川さんは「昨年は津波の被害で(基地内の)グラウンドも当初は使えませんでした。夏過ぎから使えるようになっても、災害派遣部隊が(ほかの基地から)来てくれている状況でしたから、その中でやってもいいのかという気持ちがありました。でも、みんなで汗を流すと気持ちの面では(リフレッシュの効果は)大きかったです。今日は、こんなに良いグラウンドでやらせてもらえて良かったです。楽しいですね、やっぱり。平和であるから、こういう大会ができる。普段は考えることがなかったけれど、今回は特別」と、好きなサッカーを楽しむ時間のありがたみを語った。
加藤監督も「まだ(復興は)終わっていませんけど、今こうしてサッカーができるのは、本当にありがたい。東北予選も含めて、隊員がサッカーをできる環境になったことは励みにもなるし、部隊の団結においても役立っているので感謝している」と仕事に対するエネルギーとなっている側面を話してくれた。
彼らは、基本的に訓練や業務とは別に有志が集まって活動している。厚木マーカスの山崎裕貴監督によれば海上自衛隊は特にサッカーが盛んで「サッカーをやろうか」と言うと、不思議なくらいに誰もがどこからともなくスパイクを持って現れるという。ほとんどの場合、練習場は基地内のグラウンドだ。サッカー未経験の隊員が加わることもあるが、全国大会の出場チームを見てみると、経験者の割合はかなり大きいようだ。部隊が異なる選手が多く、練習で人数を集めることが難しい。
それでも彼らはお昼休みや勤務後、オフの日などを利用して少ない人数でもとサッカーを楽しんでいる(大会直前には許可を得て練習時間を確保するケースもあるようだ)。地域リーグに所属しているチームも少なくないが、空自松島(クラブチーム名は「アズーラ松島」)は、ナイトフライトの訓練などで平日の夜に開催される試合に参加できないことが多く、石巻リーグから撤退した。陸上自衛隊仙台駐屯地の田口浩光監督も「訓練が集中して入るときはサッカーはできない」とリーグ戦で不戦敗にならざるを得ない状況があることを明かした。
他チームから「あそこは別」と特別視される厚木マーカスのように有望な戦力がそろい、強豪が集う関東社会人リーグ2部を戦っているチームもあるが、いずれも毎日のようにメンバーをそろえてトレーニングや試合をすることができない中での活動であることには変わりがない。だが、それでもサッカーをやりたいという同志の集まりであるだけに、自衛隊サッカーは独特なコミュニティーの形成に役立っているという。