桜花賞の栄冠来るか、京大卒の豪州人オーナー=ハナズゴールの馬主、M・タバート氏インタビュー

乗峯栄一

「あれは誰?」ハナズゴール馬主の正体に迫る!

[写真1]桜花賞の有力候補・ハナズゴールの馬主、オーストラリア人のマイケル・タバート氏の正体に迫る 【写真:乗峯栄一】

 例年なら「桜は桜花賞までもつか?」が話題になるところ、今年はどうしたことか「桜は桜花賞までに咲くか?」が話題になっている。これも異変といえば異変だが、もう一つ、競馬ファンの間でヒソヒソと「あれはどうしたことだ?」と話題になっていることがある。
 一つには、最も桜花賞に直結する重賞と言われるチューリップ賞で、並み居る良血を掻き分けて無名の馬が勝ったこと。もう一つは、とりわけディープの子にしてブエナビスタの妹・大本命ジョワドヴィーヴルを完封して勝ったのが、オレハマッテルゼの娘だったこと。そして表彰台に上がった馬主が名前も聞いたことのない外国人であったことである。

 ハナズゴールの馬主マイケル・タバートは37歳のオーストラリア人である。[写真1]
 日本馬主としては経歴は浅いが、日本在住歴は長く、夫人も日本人であり、従って日本人の友人も多い。その一かたまりの日本の友人たちの間では「あれは誰だ?」ではなく、「え、うっそー、マイケルの馬がチューリップ賞勝ったあ?!」と驚愕の渦が回っている。
 その“驚愕渦”の端っこにいる者として、「あれは誰?」の人たちに情報伝達をしようというのが今回の目的である。

シドニーから京都大学へ留学、奥さんは大阪生まれの日本人

[写真2]奥さんの花代さんは大阪生まれの才女、ちなみに冠名の「ハナズ」は奥さんの名前から取っている 【写真:乗峯栄一】

 初対面は結構古い。恐らく95年ではなかったか。そのころよく競馬場に一緒に行っていた競馬講談師・太平洋が、京都大学留学中のオーストラリア人を京都競馬場に連れてきた。「何? オーストラリア人?」と一気に緊張が走る。
「アイム・ホースレース・コラムニスト、アイム・ライティング・イン・スポニチ」などと在庫の乏しい英単語を披露していると、その留学生はスポニチを開いて、何の違和感もなくわが日本語の(当たり前だ)コラムを読み「予想コンダケ」と最後の2行を指さした。何や、日本語ペラペラやないか。
 確かに予想コラムと言いながら、わがコラム、予想は最後の2行しか書いてない。しかしオーストラリア人だから、やはり「凝縮された2行」の意味は了解できないようだ。「ドゥー・ユー・ノウ・バショウ・マツオ? カワズ飛び込んだらポシャ、セミ鳴いたらミーン」など意味不明のことを言っているうちに相手はどこかへ行ってしまった。それがマイケル・タバートとの初対面だった。

 この頃の事情を今回あらためて聞いてみた。

「オーストラリア・シドニーの高校で日本語授業を選択してたんです。そのときは特別日本に関心が高かったという訳ではないけど、卒業後、経済学を学びたいと思ったとき、せっかく日本語やってきたんだから、日本で経済学を学んでみようと思ったんです。ちょうど日本政府から割合高額の奨学金も出るということだったんでね。これは発展途上国からの留学生に出される奨学金なんだけど、いまはどうか知らないけど、当時はオーストラリアも発展途上国の一つに入ってたんですね(笑)。その高額奨学金で競馬やってたってことはないですよ(笑)。競馬は好きで競馬場には行ってましたけどね(笑)。で、世界中の発展途上国から年に120人ぐらい、日本政府からその奨学金を貰うんだけど、成績のいい順に東大とか京大とかっていう風に留学生として入っていく訳です」

 ああ、じゃあ、京大の経済学部に入ったっていうことは高校の成績も良かったってことやね?
「まあ、悪くはなかった(笑)。特に京大を目指したということではなかったんだけど、ただオーストラリアにいた頃、日本を知る人は“大阪だけはマズい”って言ってましたね(笑)。いまは大阪に住んで、大阪大好きなんだけど、最初はそういうイメージをもってましたね。大阪は怖いって(笑)。でも最初1年間は大阪外大の留学生用の日本語コースに入ったんです。93年だったかな。多くの留学生はそこを経由して日本の色んな大学に入るんです。そこの留学生寮が太平洋さんの家に近くて、彼、よく入ってきて、無理矢理よく意味の分からない講談とか聞かされましたね(笑)。大阪の怖さってこれか?とか思いました(笑)」

 京大卒業後、父親の体調が悪くなったこともあって、マイケルは一度シドニーに帰って就職している。しかし会社が「トーマツ」(英語名Deloitte)という世界的監査法人だったため、父親の体調が回復すると、英語圏と日本語圏の両方を知っているという資質を生かさない手はないと、再び「日本トーマツ」で働くことになる。東京に2年いて、2001年からは大阪で働き、2年前、大阪で結婚している。夫人は花代さんと言い(「ハナズ」の冠名はこの夫人の名から来る)大阪生まれの大阪育ちだが、「トーマツ」ではマイケルのアシスタントをやっていたというから(現在は退職している)才女ということは間違いない。夫婦そろって、日本語・英語・大阪弁に通じている。[写真2・タバート夫妻]

馬主への足がかりはムーンロケットとノーザンファーム

[写真3]栗東に滞在中のハナズゴール(左)、いつも帯同馬のハナズフォーティといっしょ 【写真:乗峯栄一】

 マイケル、馬や競馬への興味はオーストラリアの少年時代から持っていたという。
「父は向こうの教育長みたいなことをやってましたが、母の父、ぼくから言うと母方のおじいちゃんがアローフィールドという、よく社台からの種牡馬シャトル・レンタルなんかのときに名前の出てくるオーストラリアでも大きな牧場があって、そこの一つの牧場の牧場長やってたんです。それで小さい頃から休みの日なんか牧場に行っていたし、だから馬との関わりは母の方からですかね。父も競馬は昔から好きでしたけどね」

 京大留学生時代も、日本で働き出してからもマイケルにはちょくちょく会ったが、ぼくはマイケルに会うたびに「この単語は何? どういう意味? こっちの単語とどう違うの?」と洋物ポルノに出てくる、辞書に載ってない英単語を必死で聞いた記憶しかない(それほどぼくはこの種の単語に切羽詰まっていて、マイケルもこっちの真剣さに応えて親切に教えてくれた)。ぼくはマイケルを“ポルノ英単語専任講師”のように思っていたが、マイケルはその頃から競馬への興味と馬主への夢を膨らませていた。
 オーストラリア向け日本GIレース放送の解説をやったり、また馬主資格の要らないオーストラリアで自分の馬を走らせたりしていた。

 マイケルの生産者・馬主としての経歴は02年から始まる。オーストラリアで種付けされ、持ち込み馬としてノーザンファームに入ったムーンロケットという牡馬がいる。斎藤四方司氏所有・清水美波厩舎所属で3戦し、新馬戦では9馬身差の強烈な勝ち方をして期待されたが、3走目で屈腱炎を発症して無念の早期引退となる。この馬に対して、マイケルは「オーストラリアで種牡馬にしたいんですが」とノーザンファームに交渉しに行く。何のツテもないオーストラリアの若者がいきなり大牧場に踏み込んだ訳だが、これが功を奏する。「種牡馬にするのなら」という条件でOKの返事をもらう。ここからマイケルの“のめり込み”が始まった。
 ムーンロケットを種馬としてオーストラリアの牧場に戻して、相手となる繁殖牝馬を現地で買う。馬主資格の要らないオーストラリアなので、その産駒をマイケル所有馬として走らせ、オーストラリアの重賞まで勝つ。しかし最初の産駒が走る前に種牡馬ムーンロケットは死んでしまう。ただ産駒のうち2頭の牝馬はマイケル所有として日本に連れてきていて、ハーツクライを付けて誕生・成長・競走デビューを待っている状態である。母父ムーンロケット・マイケル所有の馬が来年から走りそうだ。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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