金哲彦氏が語る「文化としてのスポーツ」
コーチ、テレビ解説など多方面に活躍する金哲彦氏。選手時代には箱根駅伝で区間賞を獲得した 【スポーツナビ】
現役時代に箱根駅伝で区間賞を獲得。指導者として数々の五輪メダリストを育て、NPO法人の創設や、テレビ解説など多方面に活躍する金哲彦氏が「文化としてのスポーツ」について語った。
企業スポーツの指導者から「プロランニングコーチ」へ
しかし、リクルートの監督をしていた2001年に休部宣告を受けました。役員の方に直談判したのですが、その時に言われた忘れられない言葉があります。「君たちの役割は終わった」と言われたんです。それを聞いて非常に衝撃を受けました。
会社の宣伝や社員の一体感、機運を高めるために頑張った結果が、効果を得たから役割は終わり、となったわけです。
このことがあって、自分たちがやってきたスポーツについて改めて考えさせられました。そして、陸上では初の試みでしたが、総合型スポーツクラブをつくろうと決意したわけです。
まず、自らの考えを2つの理念に集約しました。ひとつは「競技スポーツと生涯スポーツの融合」。私は競技しかやってこなかったんですが、一般の方にも開かれたクラブにしようということです。現在は東京マラソンのような形で具現化していますが、当時はこうした状況をなかなか想像できませんでした。
もうひとつは「スポーツ文化の確立」。私たちは全てをかけてスポーツに取り組んでいましたが、企業にとっては同じ価値ではありませんでした。それは日本にスポーツが文化として根付いていないからではないかと考えました。これから何十年、何百年かかるか分かりませんが、スポーツ文化の確立を理念として掲げようと思いました。これが出発点です。
余談になりますが、実業団時代にこういう姿はスポーツにあってはいけないなと思わされたことがありました。
過去に日本選手権で優勝した選手がいました。しかし、ケガで辛い年月を過ごして、最後は逃げるように引退しました。その選手と引退から7年後に再会したのですが、「私は引退してから何年もテレビでマラソンや駅伝を見ることができなかった。辛い思い出だった」と言われました。青春をかけて日本一になったスポーツを、見られない……。私は胸が痛み、選手にこういう思いをさせてはいけないと強く感じました。この経験も私の活動の原点になっています。
東京マラソンが生み出した「新しい文化」
このマラソンブームによって新しい文化が生まれてきました。「美ジョガー」という言葉も生まれました。これに女性はすごく反応しまして、みなさん走る時の格好がすごくおしゃれになりました。東京マラソンまでは走るのはダイエット目的とみられて恥ずかしいとか、ストイックな人だけがやるものというイメージがあったと思います。それが東京マラソンが始まってからは、走るのはかっこいいと思われるようになったので、みなさん堂々とおしゃれをして走るようになりましたね。
こうしたムーブメントができたのはスポーツイベントの成功が大きなカギになったのです。スポーツイベントが成功したからメディアが注目して、新しい文化を生み出しました。東京マラソンをテレビや雑誌が取り上げなかったら、ランニングのイメージは変わっていなかったと思います。そう考えるとメディアの影響は大きいと思います。
最後に私たちが運営している総合型地域スポーツクラブの特徴について説明します。まず、「多種目、多世代、多目的」ということが挙げられます。そして、受益者負担の会費制です。自治体ではなくNPO法人なので、会費をいただいて運営しています。こうしたスポーツクラブが多くできることで、地域スポーツがさらに充実します。そして、日本のスポーツシーンは大きく変わっていきます。1人1人の気持ちが変わっていけば、大きな夢の実現につながりますから、私もそのためにスポーツを続けていこうと思います。