ドゥシャンベでの試練=タジキスタン代表 0−4 日本代表

宇都宮徹壱

アウエーの地、ドゥシャンベについて

日本はアウエーでタジキスタンに勝利。北朝鮮がウズベキスタンに敗れ、3次予選突破が決まった 【写真は共同】

 タジキスタンの首都・ドゥシャンベ。一度聞いたら忘れない、この独特な発音の地名は、現地の言葉で「月曜日」を意味する。その昔、月曜日に市場が立ったことに由来するそうだ。ソ連時代の一時期には「スターリナバード(スターリンの町)」という恐ろしげな名前だったこともあったが、フルシチョフのスターリン批判から5年後の1961年に、ドゥシャンベに戻されている。さらに30年後の91年、タジキスタンがソ連邦から独立。独立20周年に当たる今年は、ドゥシャンベの名前が復活して50周年でもある。

 独立直後に起こった内戦により、タジキスタンは旧ソ連諸国の中で最も貧しい国となってしまった。内戦自体は97年に終結したが、今も「危険」「貧困」「不衛生」といったイメージが付きまとう。実際、ドゥシャンベでもここ数年、ホテルやレストランなどで爆弾テロが発生しており、日本代表が宿泊しているホテルでは、敷地内に入る車には入念な爆発物チェックが行われていた。その一方で「タジキスタンの水は犬を洗うのさえ適さないほど汚い」とか「感染症のリスクが高い」といった、初めてかの国を訪れる者を怖気づかせる情報に事欠かない状況であった。

 ところが、事前に話を聞くのと実際に行ってみるのとでは大違い。こうした経験は、昨年ワールドカップ(W杯)が開催された南アフリカをはじめとして、さんざん経験してきたことだが、タジキスタンについてもまさに同様のことが言えた。さすがにアフガニスタンと国境を接する地域は、今も不穏な情勢が続いているようだが、少なくともドゥシャンベに関しては平穏かつ快適そのもの。街並みは美しく、人々は実に親切で、そして気候も温暖(雪が降ったのが信じられないくらいだ)。直前まで滞在していた中国のウルムチの寒々しい風景から一変、まるでリゾートにでも来たような気分になる。

 W杯アジア3次予選が行われるセントラルスタジアムには、お昼前に到着。記者席から見て左側に山脈、右側にはモスクが見える、実に風光明媚(ふうこうめいび)なロケーションである。ただし肝心のピッチはうわさに聞いていたとおり、あちこちで土が露出していて非常にむごいことになっていた。そしてスタンドを埋め尽くしているのは男性ばかりで、しかも大半が黒い服を身につけている。隣国ウズベキスタンに比べると、実に禁欲的かつ保守的な印象だ。やがて赤いジャージのタジキスタン代表がピッチに現れると「タージーキッスタン!」という掛け声が起こり、やがてそれはスタジアム全体を包み込んでいった。

1カ月前とはまったく異なるタジキスタン代表

「タジキスタンとは先日、ホームで一度やっているが、前回と同じようにはいかないだろうと思っている」。試合前日の会見で、ザッケローニ監督はこのように述べている。前回の対戦は、ちょうど1カ月前の10月11日。大阪・長居で行われた試合は、8−0という圧倒的なスコアで日本が快勝した。内容的にも、日本は7割以上ボールを支配し、39本ものシュートを放っている。対するタジキスタンは、申し訳程度のシュート1本が精いっぱい。戦前から「守備的にいく」(ラフィコフ監督)ことを明言しながら、前半11分にハーフナー・マイクの先制点を許すと、その後はなすすべなくディフェンスラインが崩壊し、日本との力の差をまざまざと見せつけられることとなった。

 そしてこの日、ザッケローニが選んだスターティングイレブンは以下の通り。GK川島永嗣。DFは右から内田篤人、吉田麻也、今野泰幸、駒野友一。中盤はボランチに長谷部誠と遠藤保仁、右に岡崎慎司、左に香川真司、中央に中村憲剛。そして1トップにハーフナー。負傷で招集が見送られた長友佑都に代わって駒野が左サイドバックに回り、内田が久々に代表復帰した以外は、顔ぶれもシステム(4−2−3−1)もまったく同じ。現時点で最も安定感があり、最も信頼できるメンバーで臨むことで、アウエーであってもしっかり勝ち点3をもぎ取るという、指揮官の意図は明白であった。

 さっそく試合を振り返ることにしよう。序盤から積極的に前に出てきたのは、ホームのタジキスタン。長居では、前半一度も取れなかったコーナーキックを、開始わずか1分で得てしまう。ザッケローニは「試合へのアプローチ(入り方)ではミスはなかった」と語っているが、実際には中村のこのコメントの方が適切だろう。
「入りは反省だな、というのはありますね。ファーストプレーで篤人(内田)が大きく蹴ろうとしたところでスライディングでやられて。あれで会場も沸いちゃったし」

 この日のタジキスタンは、1カ月前のメンバーを3人替えて、システムも守備的な4−1−4−1からフラットな4−4−2に変更。セカンドボールのケアとロングボールに注力しながら、あとは前線のマフムドフ(20番)とサイドフ(15番)にすべてを託すというカウンターサッカーを徹底させた。これに、正確なクロスと効果的な飛び出しを見せるディルショド・バシエフ(17番)、そしてプレースキッカーのファルホド・バシエフ(12番)が攻撃にアクセントを加える。この両バシエフ、先の対戦ではスタメンに入っていなかった(F・バシエフは招集もされていない)。まさに1カ月前とはまったく異なる顔をしたタジキスタンが、日本の目前に立ちはだかったのである。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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