初代タイガーマスクと最終決戦、“虎ハンター”小林邦昭が思いを語る!
9.23愛知、宿命のライバル・初代タイガーマスクとの最終決戦向け、“虎ハンター”小林邦昭が思いを語る 【t.SAKUMA】
1980年代の新日本プロレスマットを熱く盛り上げた両者の一戦。3年8カ月ぶりの対戦となった5月7日の大阪大会では初代タイガーが小林にリングアウト負けし、約30年に及ぶ抗争の中で初黒星を喫していた。
最後の激突になるであろう“初代タイガーマスクvs.小林邦昭”に向け、プロレス人生を賭けた最終決戦を目前に控えた“虎ハンター”小林邦昭の真の声を聞こう!
[記事提供:レジェンドプロレスリング実行委員会]
初代タイガーマスクにジェラシーを感じた青春
小林「大腸、肝臓のガンはザックリ切った。肺は内視鏡で手術。本当に傷だらけの肉体だよ(笑)。しかし、やっぱり初代タイガーとだけは何度でも闘ってみたい。これが最後になる」
――すごい思い入れですね(笑)。
小林「だってメキシコ時代から同じ部屋で一緒にいた仲間だからね。お互い励ましあってやっていた。そして、そういう関係だったからライバルにもなれたんだと思うんだよね。初代タイガーの歴史も面白いよね。メキシコでは、僕と一緒によく打撃の練習をしていましたよ。サンドバックを買って蹴ったりね。メキシコはブルース・リー・ブームで僕やタイガーの打撃は人気があってね。だけど、すぐにフロリダのカール・ゴッチのところに行った。そこでゴッチの特訓を受けてからイギリスに渡った。そこで伝説のサミー・リーとなった。いままで落ち込んでいたイギリスのマットを超満員にしたんだからね。本人も言ってましたよ。「日本ではタイガーマスク、タイガーマスクともてはやされていたけど、僕としてはサミー・リーにタイガーのマスクをかぶせただけだ」って。
彼は僕よりも3年後輩なんだよ。だけどライバル心というのが凄かった。普通、自分より3年遅れて入ってきた選手にライバル心なんて沸かない。だいたい同期のレスラーがライバルになる。だけど、タイガーはどんどん先輩レスラーを追い越していくんです。何でもできましたからね。その時はできなくても、その日の夜に一人で懸命になってできるように努力していた。そして次の日にはできているんだよね。そういうのを間近で見ていたから、さすがに僕もジェラシーがあった。
――なるほど。
小林「だから、僕もレスラーとしてそういうタイガーにジェラシーを感じていた。しかし、そのジェラシーがあって、僕もエキサイトして闘ったから、いまだに町を歩いていると『小林さん、小林さん』と声をかけられる。タイガーというのは僕にとって恩人かもしれないね。だって無名だった小林邦昭を有名にしてくれたんだから。シングルなんて10試合もやっていないのにね」
――調べてみると、シングルは6試合ですね。
小林「わずか6試合なのに30年経った今でも『虎ハンター』ですからね。これは凄いですよ。あの頃のテレビ朝日『ワールドプロレスリング』の――初代タイガーマスクとの一騎打ち。ガン手術を3度も受けられたのに、また再び、戦いのリングに戻ってきました。よほど初代タイガーに対する思い入れがあるんですね。
小林「大腸、肝臓のガンはザックリ切った。肺は内視鏡で手術。本当に傷だらけの肉体だよ(笑)。しかし、やっぱり初代タイガーとだけは何度でも闘ってみたい。これが最後になる」
――すごい思い入れですね(笑)。
小林「だってメキシコ時代から同じ部屋で一緒にいた仲間だからね。お互い励ましあってやっていた。そして、そういう関係だったからライバルにもなれたんだと思うんだよね。初代タイガーの歴史も面白いよね。メキシコでは、僕と一緒によく打撃の練習をしていましたよ。サンドバックを買って蹴ったりね。メキシコはブルース・リー・ブームで僕やタイガーの打撃は人気があってね。だけど、すぐにフロリダのカール・ゴッチのところに行った。そこでゴッチの特訓を受けてからイギリスに渡った。そこで伝説のサミー・リーとなった。いままで落ち込んでいたイギリスのマットを超満員にしたんだからね。本人も言ってましたよ。「日本ではタイガーマスク、タイガーマスクともてはやされていたけど、僕としてはサミー・リーにタイガーのマスクをかぶせただけだ」って。
彼は僕よりも3年後輩なんだよ。だけどライバル心というのが凄かった。普通、自分より3年遅れて入ってきた選手にライバル心なんて沸かない。だいたい同期のレスラーがライバルになる。だけど、タイガーはどんどん先輩レスラーを追い越していくんです。何でもできましたからね。その時はできなくても、その日の夜に一人で懸命になってできるように努力していた。そして次の日にはできているんだよね。そういうのを間近で見ていたから、さすがに僕もジェラシーがあった。
――なるほど。
小林「だから、僕もレスラーとしてそういうタイガーにジェラシーを感じていた。しかし、そのジェラシーがあって、僕もエキサイトして闘ったから、いまだに町を歩いていると『小林さん、小林さん』と声をかけられる。タイガーというのは僕にとって恩人かもしれないね。だって無名だった小林邦昭を有名にしてくれたんだから。シングルなんて10試合もやっていないのにね」
――調べてみると、シングルは6試合ですね。
小林「わずか6試合なのに30年経った今でも『虎ハンター』ですからね。これは凄いですよ。あの頃のテレビ朝日『ワールドプロレスリング』のゴールデンタイムがどれだけ影響力があったのか、ということですよ」
抗がん剤を打った帰りに道場でバリバリ練習!
小林「ロングタイツ。なんでロングにしたかというとベニー・ユキーデに影響されたんだけど、実際に蹴りをやるとロングタイツをはいていたほうがキレイに見えるんですよね。でも、あれは試合に出る直前まで悩んだんですよ。通常のショートパンツでいくか、ロングタイツでいくか。これまでレスリングの歴史はショートのパンツなんですよ。そのロングでリングに上がった。そしたらお客さんが笑ってるんだよね。案の定、笑われたなと思ったけど、クソッと思ったよね。試合で見返してやると。しかし、笑われたというのはインパクトがあったということ」
――インパクトは初めてのタイガー戦でいきなりマスクを引き破った。
小林「あの頃の視聴率は11〜12%くらい。だけど10.26大阪府立(1982年)で最初にタイガーとやった時は22・5%超あった。倍ですよ。数字も出たけど、試合が凄かった。というよりも、初代タイガーにはびっくりした。噂には聞いていたんですよ。動きが凄いんだと。実際、大阪でやった時、メキシコでもトリッキーな動きをしていたけど、それ以上に凄かったんで、一気にジェラシーが爆発しましたよ。だからエキサイトしてしまった(笑)。今度の9.23レジェンドを見に来てくれるファンはその頃の僕らを見てくれた世代が多いと思うんでね。
そうだなあ、たとえばNHKの紅白歌合戦が大晦日にやる。僕らはその歌合戦を見ていて、懐かしの歌手が出てきて歌うと『ああ、懐かしいなあ。いいなあ』と思うでしょ。その歌を歌っているのは代わりの歌手じゃなくて本人じゃないですか。本人が多少、歌声が劣っていたって、当時を思い浮かべて聞くわけだから、納得できるわけですよ。レジェンドというのはそれと同じじゃないかなと思うんですよね。だから、その頃のファンがいっぱいくると思うから、目いっぱい懐かしんで欲しいし、エキサイトして欲しいですね」
――そうですね。ま、当時を見ていた僕ら記者にしてみると、小林さんがエキサイトしている姿を見られるのは頼もしい。
小林「うん、そうだよね。僕も55歳。同じ年代のサラリーマンはそろそろ定年で引退する歳まわりですよ。だから、そうじゃないだろ、俺も55歳でバリバリやってるんだから、もっともっと頑張ってくれよ、というようなファイトを見せたいよね」
――そうですよね。手術も3度やっていて、これだけやれてるんだぞ!と。
小林「なんかね。手術をしてくれたドクターが癌学会で僕のことを取り上げてくれたそうですよ。癌が転移して手術を繰り返しながらこのように元気で試合をやっているというケースもあるんだと」
――プロレスラーというのは凄い。藤原さんだって癌の手術をやってリングで試合をやっているし。
小林「やっぱり練習じゃないですかね。ほら、この腕を見てくださいよ。この腕、3度手術をした男の腕に見えます? だいたい抗がん剤を病院で打った帰りに道場で練習して家に帰るわけだからね(笑)」
――抗がん剤を打ってから練習? 抗がん剤を打つと気持ちが悪くなって、練習どころじゃないでしょ。
小林「そうですよ(笑)。自分から積極的にやっていくという精神的なものかもしれないね。僕なんかドクターにとっちゃ、いいモデルケースですよ」