フランス代表の光と影、監督ブランの苦悩は続く

木村かや子

育成ポリシーは「チームの一員としての選手を育てる」

6月の初招集で2ゴールを挙げた新星マルタン(写真)の参入はフランス代表に希望をもたらした 【写真:PanoramiC/アフロ】

 以前のフランスの育成は、個々の選手の能力を伸ばすことを目標とし、「これがフランスの目指すサッカー」というプレー面でのプランは持っていなかった。育成部門がチームプレーを重視し、チームワークの精神とプレーの知性、ビジョンを持った選手の育成に力を入れるという意識を強めたのは、3年前のこと。代表が悲惨なありさまでユーロ2008から敗退した後、育成部門の新責任者、エリック・モンベール氏が「優秀な選手の寄せ集めではなく、チームとしてのプレーのプロジェクトの下でプレーする、真の“チーム”を育てよう」という新ポリシーを打ち出した。

 そのプロジェクトとは、互いが互いを使い合い、スペースを生み出し活用していく、いわば“バルセロナタイプ”のサッカーで、単なる猿まねではなしに、そこに、フランスの持ち味である多様性――黒人選手などを擁することからくるフィジカルの強さなど――を加え、独自の味を生み出そう、というものだ。ブランもこの方向性に賛同し、今、彼らは手を取り合ってフランスの未来の建設に取り組んでいる。真の成果が出るには10年くらいかかりそうだが、外野に邪魔されずプロジェクトを敢行することができれば、フランスの未来にはかなり期待が持てそうに思える。

 そんな矢先に起きた、目指すスタイルの権化のようなマルタンの活躍は、協会にとってもブランにとっても、とりわけうれしいニュースだったと想像する。またこのウクライナ戦では、やはり新参者で、スペースに飛び込むことに長けたケビン・ガメロも得点。このガメロは引き分けに終わった対チリ戦でも、怪しい判定でオフサイドとされはしたが、目の覚めるようなゴールを決めていた。

新人は伸びてはきたが……

 このように、守備的MFのヤン・エムビラ、FWのガメロ、攻撃的MFマルタンなどの台頭、さらにジェレミー・メネス、またやや度合いは落ちるがロイック・レミーら新顔の意欲のおかげで、親善試合でのプレーは内容的に非常に躍動的なものとなり、新代表はついに良い気流に乗ったように見えていた。それでも、少なくとも9月2日のアルバニア戦まで、ブランはすでにレギュラーに定着したエムビラを例外に、公式戦で思い切って新顔を先発させる大胆さを持つことができずにいるような印象を与えていたのである。

 新顔に勝負の懸かった試合はまだ荷が重いと思うのか、ユーロ予選の公式戦となると、ブランは1トップにベンゼマ、両サイドにはマルーダとリベリー、トップ下にナスリを入れた4−2−3−1を使う傾向があった。見た目には美しい、豪華メンバー。ところがこれだと、どこかプレー内容がややちぐはぐになってしまうのだ。それは、公式戦であることからくるプレッシャーゆえかもしれないし、相手の真剣度が違うせいかもしれない。代わりに若手が数人入っていたらより良い結果が出ていたとは限らないのだが、何かがうまくいっていなかった。

 ここ最近、しっかりした活躍を見せているベンゼマが、唯一のFWの座を獲っているのは納得できることだ。個人的にガメロのことは買っているのだが、彼にはいまのところ、交代で入った際にゴールをもぎ取り、ベンゼマを背後から脅かす準備をしておいてもらいたい。またGKロリスも議論の余地なき堅固さを見せている。問題はその間である。

 これには、W杯・南アフリカ大会でも問題となったリベリーの左サイド嗜好(しこう)が、多少なりとも関係しているように見える。1−1に終わった6月のベラルーシ戦では、マルーダが左サイド、リベリーが右サイドに入ったが、このケースでは、得点もしたマルーダは良かったものの、リベリーはほとんど存在感がなかった。反対に、マルーダが「チームの実りのため」と称して左をリベリーに譲り、右サイドを買って出た9月のアルバニア戦では、前半、リベリーは良いものを見せたが、マルーダはまったく鳴かず飛ばずだった。

 親善試合のチリ戦で、ブランは守備的MFをエムビラ1人にし、両ウイング(マルーダとレミー)に加え、ベンゼマの背後にマルタンとナスリのダブル・プレーメーカーを並べるという4−3−3あるいは4−1−4−1とも言えるシステムを選んだ。相手がパスサッカーをするチームだったこともあり、1−1に終わったものの、この試合は攻撃に動きがある、見ていて楽しい内容となった。
 反対に、アルバニア戦でのフランスは、ワンチャンスを決める効率の良さで2得点した前半こそ良かったものの、後半は主導権を相手に渡してガタガタに。こういうときこそダブル・プレーメーカーを試してほしかったが、リードしていたこともあり、ブランは終了10分前にマルタンを入れただけで、ほとんど選手を入れ替えなかった。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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