「無名」の存在から覚醒した田中順也=柏をけん引するアタッカーの魅力

鈴木潤

サッカー観を変えた出会い

昨シーズン、第19節の千葉戦では圧巻のパフォーマンスを発揮し、ルーキーながらJ2通算24試合出場6得点の数字を残した 【写真:築田純/アフロスポーツ】

「ネルシーニョに出会って、本当にサッカー観は変わりましたね」
 田中はそう振り返る。しかし、それは彼にとってサッカーの奥深さを思い知り、頭を悩ませる日々の始まりでもあった。体力に自信がある、だから前線ではガムシャラに動き回り、ボールを受けたら得意の形に持ち込んで左足でシュートを放つ。「それまでは頭を使ってサッカーをしていなかったんです」と田中が話すそのプレースタイルをネルシーニョから根本的に正され、「動けばいいというものじゃない。正しいポジショニングを取れ!」と、トレーニングのたびにポジショニングのミスを指摘される毎日が続いた。あまりに多くの要求に一時は脳内が混乱し、昨年のJ2序盤には、明らかなスランプに陥っていた時期もあったほどだ。

 10年シーズン、J2を独走した柏の前線の軸は北嶋秀朗、林陵平、工藤壮人であり、2列目にはレアンドロ・ドミンゲスや茨田陽生が起用され、田中はスーパーサブ的な存在だった。J2通算24試合出場6得点という数字は、ルーキーとしては決して悪くない成績だが、シーズン終了後に「もっと『J1でやれる』という手応えを今年中につかみたかったんです」と悔やむコメントを残している。

 ただ、その中でも田中が圧巻のパフォーマンスを発揮した試合に第19節のジェフユナイテッド千葉戦(2−2、田中は1得点)がある。ドローに終わったものの、J1級の力を持つ千葉を自らの力で圧倒したこの試合が成功体験となった。「あのプレーをスタンダードにしないとJ1ではやっていけない」と、J1で活躍するためのボーダーラインを彼の中で設定し、イメージできるプレーを実際に持ち得た点が今季の覚醒(かくせい)に大きく影響を及ぼしたのではないだろうか。

日本代表に田中が加わったら……

 そして、09年の夏からネルシーニョに説かれ、少しずつ体内に染み込んできた戦術がようやく実を結ぶ。前述したように、もともと体力には自信を持ち、左足のシュート力は高い上に、実はリフティングではチームナンバーワンの技術を誇るという繊細なボールタッチを持つ。思考を巡らせながらネルシーニョの指示を忠実に実行し、緻密(ちみつ)なポジショニングを取ることで、前線でボールを収めるなど戦術的に変ぼうした姿を見せながらも、従来の持ち味である左足のシュートとハードワークというストロングポイントは失っていない。しかもシーズンオフには体重を5キロほど落としたため、プレーにはより切れ味が増した。

 11年シーズン、ついに田中の覚醒が始まったのである。「順也が今までと違って、体力任せのサッカーじゃなくて、頭を使ってプレーするようになった」と、2トップを組む北嶋もその変ぼうぶりには太鼓判を押す。まだまだ粗削りな面は残っており、課題も多い。だが、それも伸びしろと考えれば、今後の成長に期待ができるというもの。

 もし、新聞紙面でうわさされるように、日本代表に田中が加わったならば、チームにどのような変化をもたらすか、ぜひ想像してみてほしい。パスは何本もつながるが、なかなかシュートチャンスを見いだせないという、代表にありがちな状況に陥ったとしても、おそらく田中はわずか一瞬でもゴールへの道筋がクリアになれば、バズーカ砲のような弾道の左足シュートを躊躇(ちゅうちょ)なく相手ゴールへ見舞うはずである。間違いなく、現在の日本代表が持たないテイストだろう。それに、ネルシーニョの指導が田中を飛躍的に成長させたように、同じく戦術家のザックとの邂逅(かいこう)が彼の覚醒をさらに促す、そんな気はしないだろうか。

<了>

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著者プロフィール

1972年生まれ、千葉県出身。会社員を経て02年にフリーランスへ転身。03年から柏レイソルの取材を始め、現在はクラブ公式の刊行物を執筆する傍ら、各サッカー媒体にも寄稿中。また、14年から自身の責任編集によるウェブマガジン『柏フットボールジャーナル』を立ち上げ、日々の取材で得た情報を発信している。

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