「無名」の存在から覚醒した田中順也=柏をけん引するアタッカーの魅力
「順也の魅力はシュートの積極性」
ネルシーニョ監督も「魅力はシュートの積極性」と語る田中は日本人に少ないシュータータイプのアタッカーだ 【Getty Images】
田中順也は、日本人に少ないシュータータイプのアタッカーである。ネルシーニョ監督が「順也の魅力はシュートの積極性」と語るように、少々遠めの位置からでもコースを見いだしたなら、その左足から重く鋭い弾道を放つ。中学時代から三菱養和SCユースに所属し、同ユース時代にはアドリアーノ(現コリンチャンス)のプレーをイメージしながら練習に取り組み、グイグイと力強いドリブルで切り込んでは左足元にボールを置いて、ドカン!と豪快なシュートを放つプレースタイルを確立した。田中が“三菱養和のアドリアーノ”と言われたゆえんはそこにある。
だが、当時の田中は三菱養和で10番を背負ってエースの座に君臨していたとはいえ、全国的に見れば突出した選手ではなかった。香川真司、安田理大、槙野智章、吉田麻也らそうそうたる顔ぶれが集まった05年の日本クラブユースサッカー選手権(U−18)には出場するも、あえなくグループリーグ敗退を喫した。Jクラブからの誘いはおろか、サッカー名門大学からの推薦もなく、結局、田中は一般入試で順天堂大学を受験した。
転機となった順天堂大学への進学
09年シーズンの開幕前、柏の春季キャンプに参加した田中は、7月から特別指定選手として柏に加入することが決まった。当時の柏は残留争いの渦中にあり、監督交代劇を余儀なくされていたことも、今になって思えば田中にとってプラスの作用が働いた。田中の特別指定と時を同じくして、ネルシーニョ監督が柏の指揮官に就任したのだ。
事あるごとにネルシーニョは「良いプレーに“若い”などということは関係ない。わたしは良い選手であれば、若くても迷わず起用する」と持論を述べる。通常で考えれば、“ありえない”起用だった。いくら調子が上がらないとはいえ、フランサ(10年7月に退団)や李忠成(現サンフレッチェ広島)という十分なキャリアを持つチームの主力を差し置いて、ネルシーニョは全く無名の現役大学生をスタメンに抜てきしたのである。当時、柏を取材する記者たちの間では、当然驚きの声が上がった。ただ、百戦錬磨の智将には、すでに田中の体の奥底に秘められていた資質が目に映っていたのだろう。さらに、ネルシーニョの強い希望により、当初は1カ月と予定されていた特別指定の期間は、順大側の理解もあってシーズン終了までに延期された。